手間暇を厭わない(MAMEHICOで大切にしている10のこと②)
手間暇というと、「クルミドコーヒー」というお店をつくったとき、一個づつ木を切ってはめ込んだ木のタイルを思い出す。 何故それをやったか? 手間暇を厭わないということを子どもに見せたかったからなんだよね。 それから、お店づくりにレンガも使った。 ボクはレンガの建物は好きでね。レンガというのは手仕事でつくられているから、きちっとしていなくて、いびつなんだけど、そこに人の思いを感じるというか、積んだ人を想像できるというか、そういうところが好きでね。 今はほとんどそういう物がなくなりつつある。ただ、レンガ調のものは、壁紙だとか、タイルだとか、いっぱいあるけどね。 タイルも昔は人が貼っていたから、人の思いや感触が感じられるけど、今のタイルは寸分違わないパネルになっている。 ボクは、はじめからそういう既製品に囲まれて育った子どもは、自分というものを肯定できないんじゃないか?という気がするんだよね。 レンガもだけど、人間や木なんか、基本的に生き物はいびつだよね。 ある程度のルールの中で、自分の粗野な部分を生かしたり抑えたりしながら生きていくのが人間だとすれば、機械で作られた物に囲まれて、管理の強い母親と社会の元で育った子どもは、いびつであることを悪であると思うようになるんじゃないかな。 クルミドコーヒーをつくったとき、今の時代に生まれた子どももやっぱり動物だから、いびつを面白いと受け止めるんじゃないかと思って、子どもの目の高さに木のタイルを敷き詰めた。 今もってお店が続いて人気があるとすれば、子どもに、もしくは大人にも、自分の中で眠っているいびつなものを受け入れるというメッセージが届いているんじゃないかなと思うよね。 だから、MAMEHICOの中で大切にしている「手間暇を厭わない」というメッセージは、相手を肯定すること、自分という人間そのものを肯定するということなんだ。 効率よく、なんでも安く、速く、便利であることは否定しないけど、人間はいびつなんだというメッセージをどう子どもに届けるかをボクは考えている。 社会の規範の中に収めて、礼儀を重んじ、その中で好き放題やるのが人間の美しさだと思うからボクらは手間暇を厭わない。 例えばみんなで集まったときにはペットボトルではなく急須でお茶を淹れるというちょっとした手間と暇をかける。 そういう事なしに、これだけやってればいいとなると、人間は案外脆くて、自分を、そして相手を肯定するのを忘れがちになるんじゃないかなと思います。