雑を大切に(MAMEHICOで大切にしている10のこと⑧)
「雑を大切に」というのは、ボクの考えそのものでね。子供の頃から、何か一つというよりは興味の持ったものをいろんな形で自分なりに勉強してきた。
社会に出るといろんな興味を持って取り組むことが必要で、自分の好きなことばかりというわけにもいかない。
いろんな課題、困難があるわけで、多くのことはありとあらゆることの知識、経験、本を読んだ事の中に答えがある事が多い。だから、いろんな事を雑多に知っておくことが大事だと自分の経験上思う。
子どもたちに教えたりするとね、頭のいい子ほどこうすればこうなるという考え方をする。それは一番の近道だけど、もっと本質的なことなんだよね。
昨日お店であるヒトと打ち合わせしてて、一杯目の飲み物も無くなりひとしきり話した頃、スタッフの子が何か召し上がりますか?とお客さんに聞いた。そのヒトは「水で大丈夫です」と言った。ボクはお茶を頼んだら、ボクにだけ、お茶が来た。
後でスタッフの子に「ああいうときはお客さん含めて持ってくるもんだろう」というと、「水でいいと言われたので、お茶を持っていくのは失礼だと思った」と言った。
ここに本質があって、そういう場での飲み物っていうのは、何か飲みたいから飲むわけじゃなくて、句読点、間合いをとるためのものなの。アウェイの場所で緊張しているようなお客さんには間合いをつけさせる為に、その緊張をほぐすようなことがトータルで行われるべきだとボクは思うんですよ。
でも、じゃあ、必ず飲み物を出せばいいというのでもなくて、例えば終わる直前に出されても終われなくなるなんていう、タイミングもあるわけ。いろんな配慮が出来る人になりたいのなら、それには見てろよ、見てるだけでなく感じろよということにしかならないわけ。
雑を大切にというのは、「感じる」ことを養うこと。専門性だけではダメなんじゃないかと思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか?