行動と俯瞰
生きるということは、行動。
今日、朝起きて何を食べるか。その後どこの仕事場に行くか。仕事場に行って何をするか。仕事場から帰ってきて何をするか。子育ても含めて、一日というのは全部行動で綴られる。
モノを作ったり新しい何かを生み出すことを考えてやる時は、常に行動と俯瞰はセット。
戦争なんかもそうで、新しい敵陣に乗り込んでいって、向こうの作戦を考えながらするわけだからね。戦地の生臭さとは違う安全な場所で物事を俯瞰し、一方で現場の兵隊、行動している人っていうのは、その指令指揮に則って行動するわけで、時にそれで命を落としたりすることもあると。
このように、行動と俯瞰は常にセット。
将棋中継なんか見てても、その一手を打つまでにずーっと俯瞰してる。俯瞰して見た時に先の手まで見える人が強い人だね。
では、ボクは、俯瞰をどういう風にしているか。
ボクは行動しながら俯瞰する。
車を真上から撮ったカメラがモニターに表示されて、上から俯瞰したカメラの映像が出る、そんな感じ。
いつも行動しながら俯瞰しているから、人から「いつもどこかここにいないような気がする」って言われたことあるけど、実際そうかもしれない。
色々と周りがやってくれることに、いちいち「ちょっとそれ違うんじゃないの」って言いたくなるのは、行動していればそういうふうにしたくなる気持ちはよくわかるけど、俯瞰してみると、それってそんなに細くなくていいんじゃないとか、そんな大胆じゃだめじゃん、もうちょっときめ細かくした方がいいんじゃないっていうふうに思うことは日々あるわけ。
じゃ、どっちが大事かっていうと、やっぱり行動だと思う。行動なくして俯瞰だけしていても何も生まれないから。
常に、行動、行動、行動。
行動に対して、「ちょっとそれはこうじゃないの、あーじゃないの」って言いながら修正していく。それがうまくできているので、ボクは今、とても楽しく前に進めているんであります。