神と文学と芸術と
「ゲーテ先生の音楽会」というのを7年くらいやっていました。
「ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテを好きなお医者さん」という設定の役のヒトが出て来る音楽会でね。
ボクはゲーテと考えが似ていることが多々あって、親近感を感じているんです。
ゲーテの「ヴィルヘルム マイスターの遍歴時代」という本の中に、「誰も持って生まれてない、人間にとって最も大事なものがある。それは何だと思う?」という問いが出て来る。その答えとして「畏敬」という言葉が出て来る。
つまり、目に見えないものに対して、敬う、畏れるっていう気持ちが、人間が人間たる大事なことだとゲーテは言ってるんだよね。そういう畏敬的なものに対して信仰心がある人だけが、文学と芸術においても、生産的であると。
どんな世界でも、やり続けるとなると、信念というのは揺らいじゃうものだよね。その揺らいじゃうものを支えているのは、やっぱり神でしかないですよ。神っていう自分ですよ。自分っていう神っていうのかな。自分が本当は何がしたいのかを自問自答するときは、神ってものを持ってないと分かりにくい。自分というものは何のために生まれてきたのか、自分というものはこの状況の中で何を選択するのかは、神に聞くしかないですよ。神ってのは自分ですよ。
ボクが「心に残るようなカフェを創りたいけど、具体的にどうなるかは、やってみなきゃわからないし、今のメンバーと環境ではできないことだからね。だけど時間をかければ、少しずつそっちの方に行くような気もするし、行かないかもしれないし」って言いながら、よくわからないことを突き進めるときにも、自分が何をしたいのかを自問自答するし、神、信仰心ってものがないと、なかなかそれを具体的に前に進められない気がするのね。
ゲーテが言うように、人間が畏敬の念を持っている時にだけ、文学や芸術において生産的であるというのは、とても深いことだと思います。