、、、と思います。

、、、と思います。

エトワール★ヨシノのMCを書いていると「、、、と思います」、という表現が多い。

「、、、と思います」という必要ないですよね?
「歌いたいと思います」というのと、「歌います」では違いますね。

これは、僕らが戦後民主主義の中で育った証だと思います。僕よりも、もっと若い世代になると、断定的な言い方は、態度も含めしなくなり、全てが曖昧、何を考えているのか、何をしたいのかわからない。

ライブでは「では、一曲目歌います」でいいわけ。「歌いたいと思います」というのでは、ヨシノは一曲歌いたいと思っているけどお伺いを立てて、みなさんは「どうぞどうぞ、ヨシノさんのライブなんだから歌ってくださいまし」「では歌わさせていただきます」というやり取りをしているというわけ。

これは、丁寧でみなさんのことを思っている、という側面もある一方で、自分の責任の所在をどこか他人に委ねている。同意した上でやったんだから、私ひとりの責任ではございませんというようなことを、忖度、もしくは責任回避している。
戦後民主主義は、みんなの合意を取り付けるという形をとりながら、誰一人として責任を取らない社会を生み出してしまったのではないか。

一方で、非常に断定的な物言いで、間違ったことを言う人は案外いる。あくまで自分の意見に過ぎないのに、「何とかである!」というような物言いをされると、ある側面からすればそうだけれど、それは一方的なのではないかと、僕なんかは感じることもある。

じゃ、どうしたらいいか?

基本的には、いろんな情報を取り入れて、あくまで自分の意見として、「、、、と思います」と一拍置いた表現をする。自分が言ったことは責任を取る。いろんなところの人たちのことを考える。でも、最終的には自分の意思を貫く。

でも、それがエトワール★ヨシノのライブで達成できているかどうかはわかりません。是非ライブをご覧いただき、それを確かめてもらえたら嬉しいです。

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