信仰にすがる

信仰にすがる

日本は無宗教の国と言われますが、ボクの周りでも宗教団体に入ってるヒトは見かけないね。

信仰というと宗教で、宗教団体と連想される。多くの宗教団体がお金と紐づいているところがあるので、アレルギーがあるよね、一般のヒトからはあまり印象がよくない。

でも、人間が生きていく上で、信仰にすがらずには生きていけないんじゃないかと、ボクは思う。宗教団体を毛嫌いしているからって、なんの信仰にもすがらずに生きているのかというと、それは違うと思う。

むしろ、強く一人で立っている様に見える、信仰にはすがってないというヒト達ほど、かなりいろんなものにすがっているなと思う。
会社やお金、世間の目、テレビ、新聞、いろんなものにすがっている。盲目的に信じちゃってるよね。みんな、何かしらにすがっているわけ。ヒトは、よりどころがないと生きられないし、そういうものだから。

信仰というのは読み替え。つまり、事実をどう捉えるかが信仰だと思う。例えば、若いうちに結婚して、子どもを産んどいた方が幸せなんだというのも、これも一つの信仰。その考えにすがっているわけ。子どもは小さいうちから良い学校に入れれば幸せなんだという信仰の中で育てていると、その信仰以外の事は見えなくなる。子どもが勉強を嫌がっている事について、とらえ方を読み替えたりね。

何らかの信仰にすがりながら、現実をそのまま受け止めるのではなく、自分の前に起きている現実を読み替えながら生きている。

自分の考えが固まらない中で、わかりやすいもので読み替えていくのは、ともすると、自分の考えや声に耳を傾けなくなる、信仰の方が優先されちゃうって事があると思う。

信仰は必要だけど、自分の弱さを隠す為にすがっているのではダメだと思うんだよね。人間というのはいろんな意味で、小さい時に感じた事を読み替えて生きているので、なかなかいろんな問題をはらんでいるなぁと、この頃そんな事を考えるのであります。

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