匂践投醪(こうせんとうろう)

「勾践投醪」は、ボクの印象に残っている四字熟語。今の時代に必要なエッセンスが詰まっている感じがして、いいんだよ。

古代中国・楚の将軍、子發が秦の国を攻撃して、勝って、国に帰って来て、家に入ろうとすると門が閉められていた。
「なんで勝ったのに入れてくれないの?」と訊くと、子發のお母ちゃんは、「あんた、勝って調子に乗っているようだけど、軍隊の食べ物がなくなったとき、兵隊さんは一升の豆を分け合ったのに、あんたは肉や穀物を食べてたという話じゃないか!あんた、勾践投醪と言う言葉を知らないの?」と言った。

「何それ?」と子發が言うと、お母さんは「勾践投醪とはね」と話し始めた。

「越の王様の勾践は、お客さんにお酒を一瓶献上されたのだけど、その時、部下を引き連れていたため、一瓶では足りないから、その酒を川の上流に持っていき、注いだ。部下に、この川の水を飲もう、そしたら、全員がこのお酒をもらったことになるだろ?と言った。
別の日に、一袋の食べ物を頂き、それを皆で分け合って食べた。お酒の味はしなかっただろうし、空腹も満たされなかったかもしれない。けれど、勾践の行動に感動した兵隊は王様に従い、いざ戦いの時に、10倍の力を出して働いた」。

お母さんは、この話を人前で、とうとうと説教し、息子は「悪かった」と謝り、家の中に入れてもらったという話。

これはとても示唆に富んでいる話で、今の教育、社会そのものに警鐘を鳴らすエピソードだよね。

女のヒトは、冷静に物事を見ている。母親は、息子の下で働いているヒトの気持ちを汲み取り、息子が恨みを買っていることもあるだろうと思い、息子を人前でたたくことで、周りのヒトの溜飲が下がり、息子を守った。リーダーは下のヒト達に反感を持たれないということまで配慮しなければ、本当に勝った事にはならないということ。

「勾践投醪」という言葉を聴いて、どう思うかによって、そのヒトの器が計れる、そんな気がします。

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