二台の車

「二台の車」というのは、経営観念の話なんですよ。

ボクたちのカフェでは、外でお芝居などのイベントをすることがあって、お店のスタッフが演劇もやるし、お店もやっている。すると、演劇があるとお店が回らなくなるということが起きるんだよ。

スタッフは、店を開けてお店の売り上げに貢献したいと言ってくれるんだけど、そうするとヒトが足りないよね、ということになって、潤沢にスタッフを揃えておかなきゃダメだという論調になるんだよね。

そんな時、ボクは「二台の車」という考え方をするんだけどね。
通常なら一台で足りるけど、なんかあった時、車は二台あった方が便利だという経験をすると、二台必要だと思いこんじゃう。
その時だけ借りたら?と言っても、自分で持たなきゃみたいな話になる。

一過性の出費より、常時それを保持していく出費の方が、日々の額は少なかったとしても、積もり積もって大きな額になるのが維持費。恒常的な出費については、みんな気にしないんだよね。

例えば、倹約家で特売品しか買わないヒトが、そのせいで冷蔵庫がパンパンになって、食べきれなくて捨てても、それについてはもったいないという意識がないんだね。どこか不安があるヒトは備蓄型になっちゃう。

二台の車を持たなくても、一台の車でやりくりして、いろんな手を使って何とかなるって思うんだけどね。
カフェでも、足りないことばかりに着目すると、たくさんケーキ作って準備して、ほとんど注文されず、いつも捨てるということになる。自分が心配だから、ちょっと多めに見積もる。それがちりも積もると経営は圧倒的にひっ迫される。

経営観念を持って、いざとなったら代用する、何とかするということを、スタッフには常日頃、文化として植え付けておかないと、あれもない、それも足りないという論調になって、お財布の中身もいつもないということになる。そして、いざとなった時、一台の車も買えなくなる、というお話でした。

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