プラットフォームが幅を利かせてますね。
ボクのお店は渋谷だから、街を歩けば宣伝ばかり。CMシャワーの中、お店まで歩いてるんだけどね。
amazon、Netflix、Uber EatsなんかのCMを見ると、ヒトのふんどしで相撲とってるくせに偉そうな顔すんなよって思っちゃう。
映画ならNetflix、本はkindle、というふうに、認知してもらうためにCMを流す。囲い込みと認知度に必死なんだと思う。
日本はと言えば、プラットフォームに乗っかるだけのお客さんに成り下がってるわけよ。そのことに甘んじてるのが許せない。作ってるのはUber Eatsじゃなくてお店だからね、当たり前だけど。
映画の配給会社の東宝、東映もプラットフォームだよね。でも、こういうヒト達は、自分達でも映画を作っている。
このラジオもYouTubeというプラットフォームを使っていて、ボク自身いろんなプラットフォームにお世話になってる。この流れには抗えないとしても、やっぱり、お弁当ひとつとっても、作り手が相手に食べてもらったり届ける間には、いろんなストーリーがある。
プラットフォームがかっこいいものだというふうに宣伝されると、若い子達はモノを作るより、プラットフォーム側に惹かれるんじゃないかな。
映画なら東宝、新聞は朝日、読売が偉いという古い価値観。若い子達は、大人達に何を言っても聞く耳を持ってもらえないなら、いっそ海外のプラットフォームが黒船のようにやって来て、今の日本の市場に風穴を開けてくれたほうが、消費者としても、就職先としても未来あるよなと、思ってるんじゃない?
そういう閉塞感から、プラットフォームに対して大いなる期待を抱いている若者の声、感情、声なき声を感じるし、これは根深い問題だなと思う。
本来なら、ボクは風穴を開ける、ど真ん中の世代。でも、開けられずにいる自分への歯がゆさが、プラットフォームに対する嫌悪感なのかもしれないね。