深い穴に

3月に「ワーニャおじさん」という舞台の中でワーニャ役をやることになっている。セリフの中に「深い穴」というのがあってね。

「過去は、もはや存在しない。つまらないことに浪費されたから。そして現在は無意味さゆえに恐ろしい。これが私の人生で、私の愛です。この人生や愛をどこへ持っていけばいいのか?どう扱えばいいのですか?私の想いは深い穴に潜む日の光のように消えてゆき、そして私自身も消えていくんですね。」

この「深い穴」というのは、不安を連想させるよね。
去年のイベントで、ゲストの弁護士さんとの対談の中で、「クレーム対応はどうすればいいか」という話があってね。クレームを言うヒトは心の中に深い穴があいていて、その穴を埋めて欲しいがためにクレームを言うんだと。その場で繕うようなことをしても、そのヒトの深い穴は埋まらず、掘られていくので、そのヒトと向き合い、そのヒトの穴を多少なりとも埋めてあげるスタンスが大事だという話だった。

心にあいた穴は、幼少期に作られていると思うんだよね。
小さい時の愛情の欠乏が深い穴という比喩で表現される。
人間は穴があいているのを見ると、埋めてあげようとするのが自然だけど、思いのほか深い穴だと、これ以上は埋められないとなる。けれど、穴があいている方は、もっともっとと要求する。これがいわゆる甘えで、お互いを傷つける。

穴は穴として関わらなくていいんだと。
これは「ワーニャおじさん」にも出てきて、ワーニャのあいている穴を誰も埋めない。
人間の穴を人間が埋めるのは限界がある。

心置きなく無尽蔵に自分にエネルギーを補充してくれるのは、海の水や雲、自然しかない気がする。人間があけた穴は自然が作った穴に比べれば、さほど大きい穴ではないという気がする。

自分の生い立ちや、日々の生活であいた穴は、自然界のなにがしかによって埋める。それが人間の知恵だという気がしますが、皆さまは、いかがお考えでしょうか?

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