ハレとケ

もともと日本人は日常的なものを「ケ」、お祭り的なものを「ハレ」と使い分けていたと言われています。

ハレの日に着るのは晴れ着。晴れ姿、特別な日という意味。ケというのは、気枯れ(けがれ)と書いて気が枯れるという意味なんだよね。

マメヒコを日常的にケなものとして使って欲しいと言うと、じゃあもっと、値段を下げて欲しいというお客さんからの声がある。
その気持ちはわかるんだよね。ボクも、出来るだけ値段を安くとは思ってるけど、実際問題、ボクら個人のお店では値段を下げることは出来ないんだよ。と言うより、よそが安すぎる。コンビニ、ドトール…あんだけの規模なら値段は下げられると思うけどね。

ハレの日はお餅を食べるとか、赤飯にする、お酒を飲む。気枯れというのは、気が枯れる、やる気がなくなっちゃう、マンネリ化しちゃうということだけど、たまにハレの日を作って、やる気がなくなるのを軽減しようという工夫だよね。
生活の中に節目を作って、リズムを作っていくことは、長く持続可能な生活をして行く上ではとても大切なこと。だから、ハレとケでリズムを作ったわけでしょ。

でも、今のハレとケの基準は、お金になっちゃってるわけ。
「自分ご褒美」という言葉がボクは引っかかるんだけど、そのキャッチコピーを使って物を売るのはやめて欲しい。慎ましく節約してお金を使わないのがケで、大判振る舞いをするのがハレというのは違う気がする。

ハレとケがお金を使うか使わないかになったのは、ここ数十年だと思うよ。資本主義の考え方からしたら、毎日がハレの方がいいわけで、企業はお金を使わせたいんだよね。

人間が長く何かを続けていくためには節目節目のリズムが必要。その時にハレとケの使い分けがあって、昔みたいに多様的にそれを作ってるならいいけど、ものを買うことがハレで、つまんねーな、生きててもしょうがねーなと思ってるのがケというのは、ちょっと違うんじゃないかなぁと思うけどね。

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