少数だから多数に

患者がいるから病院を作るんではなく、病院がたくさんあるので患者を作らないと病院が困っちゃうという理屈になっているとしたら、それっておかしいよね?

でもみんなが騒いでないからおかしくないんだ、そういう論調のヒトって非常に多いんだよね。

この国では合ってるとか間違ってるとか関係なく、大多数であるのは社会適合者で、少数であるのは社会不適合者なんだというレッテル貼りをしたがる。

医療関係者でも自分たちで病気を作って、そのヒト達に薬を売るというマッチポンプをやっているよなと気づいてるヒトは多いんじゃない?でもそれを言っちゃうと、自分たちの組織、在り様そのものを否定しちゃうことになるから、大人のたしなみとして言わないということだと思うんだよね。それはありとあらゆる業界団体もそうで、今のいろんな事がおかしいと思うものの、本音を言うと角が立つので、大人の礼儀としてスルーしてるというヒトは多いと思うんだよね。

うちはそういう意味では全くしがらみがないので、おかしいと思ったらやらないし、やりたいことはやるという風にしているけど、それはそれだけ孤立している証だと思うから褒められることでもないよね。

今回お店をメンバーシップ制にした背景を考えると、ボクらは考えてることがマイノリティーというよりは、表現の仕方がマイノリティー。

ボクはマイノリティー(少数派)だからこそ、まだ見ぬどこかのマイノリティーを感じているヒトたち(多数)と繋がりたいと思ってるんだよね。

大乗仏教の教えである、自分の悟りを人助けに使う、お慈悲をかけてヒトを救っていくという部分が菩薩の一つの布施だとすれば、多くのヒトに自分のやっていることを伝えていかなきゃいけないとお釈迦様は言ってるんだよね。

どうせこんなこと言っても理解されないし、マイノリティーのままでいいというヒトは多いと思う。

自分も疲れてくるとそういう心持になりがちなので、そうならないように戒めていますが、みなさんはいかがでしょうか。

Archive
カテゴリー