碌でなしが人の陰言

ボクのところにね、なんであのヒトってこうなのかしら?という陰言が日夜寄せられます。碌でなしが人の陰言という諺があるように、自分のことは棚に上げて、みんなよく言うよね。自分のことは見えないし、自分なら当たり前に出来ることが、他人には当たり前じゃないからね。

ボクはそういう陰口を、むしろいいなぁと思うんだよ。日々、山に雨が降って河になり海に注ぐというようなことと同じで、毎日いろんなことがあるわけだから、それが河となって流れてくることは、むしろ歓迎してるよ。

私は言わないというヒトも自制してるだけで、大概は思ってる。だったらむしろ言った方がいい。ずっと我慢して、ダムが突然決壊して放流されるよりは、ちょいちょい出していた方が健全だと思うからね。

最近のはなしでは、なんで私の言うことを無視するんだ?というのがあってね。

豆腐の上にスイカってふつう、置かないでしょ?でも、これを置いちゃうヒトがいる。やめて欲しいと再三言うんだけど、無視される。あんまり言ったら悪いかと私も我慢してるんだけど、また今朝も置いてあったと。

すると、豆腐の上にスイカを置いた奴がボクのところに来て、あのヒト、今日も水が出しっぱなしで、水がはねて私はそれを見るたびに拭くけど、注意しても、ああ、そうだねってそれだけなんですよ、なんで私の言うことを無視するのかなぁと言うので、あなただって豆腐の上にスイカを置いてるらしいじゃない?って言うと、え?そんな時もあったけど、今はそんなことしませんよ、と言うから、でも、今朝も豆腐の上にスイカが置いてあったらしいよ、って言うと、えっ?それは私じゃないな。と。じゃあ、だれがそれを置いたんだ?というと、そいつしかいないわけ。

そういうことが日常あってね。無意識のうちに何かをやってるのはコントロール出来ない。少なくとも意識できるまですごい時間がかかる。

だから、理解しましたと簡単に言うな、分かったけど出来ないと思いますと言え、と言ったんだよ。分かると出来るとの間にタイムラグがないと思ってるところがまた、碌でなしなんですね。

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