江戸時代に売られていた胡麻胴乱というお菓子があってね。お饅頭と思いきや、中がスカスカ。誤魔化すという言葉はこのお菓子から来ているという説がもっぱらなんだよね。
最近新しいヒトと話すことが多くてね、体罰の話題になった。体罰は良くないですよね、でもいまだに子どもに体罰をするヒトがいて信じられないっ!体罰は絶対良くないんだという論調で言ってるわけ。
それをどう思いますか?という質問に対して、ボクはそれはいけないよねーという形で誤魔化したんだよね。
そういう風に、こうして当たり前でしょ?という論調のヒトの前では、ボクはいつでも、てへへと笑って誤魔化してきてるんですね。
でも、それについて、自分のことを恥じてはないんだよね。言ってもしょうがないヒトに議論しても意味がない。議論を放棄するというのかな。誤魔化すというのはボクにとって大事な生きる術だよね。
これこれはしちゃいけないと一律徹底するのは勝手だけど、その結果いろんなことが潜伏して世の中が良くなっているのかと言えば、そうでもない。何を禁止しても、世の中の良いとか悪いとかはそうそう変わらないと思うんだよね。
国の政治が悪くなったから、人々の生活が悪くなったんだということはあると思うけど、そういう時代に生まれたとしても、自分の人生、生き様を楽しく生きることは出来ると思うんだよ。少なくともそうしようと思う。
政治が変わるのを期待するより、日々の生活、一瞬、一瞬の方がボクにはとっても大事で、そのためには理屈は通さない。建前はそうだけど、実際は非常にファジーなところに生きるというのがボクの生き方なんだよね。
胡麻菓子の中身がスカスカだとは思わなかったというのは、見たヒトの勝手な判断だよね。
こうあるべきだと思うヒトはいろんなことを思い込んで見てるんだよね。中身があるに違いないというような形でいろんなヒトを裁いていく。そういうヒトは生きにくかろうと思うし、生きにくければ元気がなくなるので、そうなるとヒトは離れていくから、やはり元気で、なにか自分の信条通りに生きていくほうがボクは良いと思います。