かめはめ波でなんとかする

小さい頃、漫画ドラゴンボールの亀仙人が、かめはめ波を出すのをテレビで見たけど、あれはひとつの気功だよね。気功を操るために修行をするという話。

手から出る気というのは周波数だと思うんだよね。

集団でモノづくりをしている時なんか、ひとり暗い顔をしてるヒトがいるとチーム全体がどよんとするとかね。わりと顕著なのがライブ。心ここにあらずというお客さんが数人いると、その周波数につられて会場全体が停滞していくということがあるんだよね。なので、気を上げる、このかめはめ波に近い自分の持っている周波数で、この空気全体をなんとかするという気概をもって臨まないと飲まれちゃうんだよ。

ボクは自分の人生の目標は、最終的には阿弥陀如来になりたいと思ってるんだよね。

阿弥陀様が持っている周波数があると、名前を呼ぶだけで、もしくはそのヒトを連想するだけで、その波動に合って悟りをひらいたがごとく、救われていくというね。そのことによって世の中の乱れが整っていくということ、そうありたいと思うよね。

老子が、正しいリーダーはこうしようと言わず、ただそこにいることで、何するわけじゃないけど上手くいくと言ってるんだよ。

作為的なものじゃなくて、じんわりと遠赤外線的に周りを幸福にしていく、なんだかしらないけど、いるだけで上手くいってる気がする。あのヒトのおかげでそうなったんだとは気づかない、そういうところに行きたいよね。

自分の身体から出ている緩やかなかめはめ波で相手を幸せに、みんなを上手く整えていくというのかな。

それには修行が必要で、自分の中から出ている気を自在に操る。そういうヒトになれたらいいよね。

修行というのは何かを身につけるのではなくて、削ぎ落とすということで、手放すということ。そうすると、かめはめ波が出てくる。そんなことなのかなとぼんやり思ったりします。

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