老子の言葉に『小国寡民』というのがあります。
その現代語訳です。
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小さい国で国民が少ない国があるとしようか。
そこでは、便利な道具があっても、
国民には使わせない。国民に命を大切にさせ、
遠くに移住させないようにするために、
たとえ小舟や車があったとしても、
これに乗ることはなく、
たとえ鎧と武器があったとしても、
これを並べて戦争をすることはない。
国民に、縄を結んでそれを約束の印として用い、
食事をおいしいと思い、
着ている服を美しいと思い、
住居に満足し、
自分たちの生活の習慣を楽しませるようにすれば、
近隣の国がすぐ見える所にあって、
鶏や犬の鳴き声が聞こえる距離にあったとしても、
国民は老いて死ぬまで、
互いの国を行き来するようなことはない。
今の生活に満足しているからだ。
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数は力です。
政治も数が必要です。
お金は力です。
お金がなければ暮らしていくこともできない。
大抵のことはお金で解決できる。
それはたしか。
だけど、
だけどですね。
数って、暴力なんです。
数を追えば、弱いものが犠牲になる。
血なまぐさい戦火をくぐり抜けなくてはいけない。
それでも、強いものは残ります。
強いものだけが生き残れる。
優しいリーダーなら。
冷たいリーダーだったから。
そういうことは関係ない。
強いものだけが生き残る。
これが自然の摂理、「道(タオ)」なんです。
だからね。
だからですよ。弱いなら数を追ってはいけないんですよ。
だけど弱いヒトほど、
寄らば大樹の陰、という気持ちになってしまう。
大きいもの、高いもの、
無難なものにすがろうとする。
社会もすがらせようとする。
ここに人間の哀しみがあるとボクは思う。
弱いヒトほど、工夫して小さく生きるよう努めることです。
頭の良くないヒトほど、小さな幸せを探すべきです。
大きいものを目指したいなら、それはそれでいいでしょう。
大きいものに巻き込まれたいなら、それはそれでいい。
でも、だったら。
あなたは、ある程度の犠牲は我慢することだ。
そして、あなたは強い力を身につけること。
強い運が必要だ。
そして、あなたのまわりに犠牲になったヒトが出てきても、
いちいち悲しまない。
忘れること。前を向くことだ。
冷たい?
はい、そう。大きいというのは冷たいものなんです。
もし、ボクに小さな、か弱い娘や息子が生まれたなら、
親としてボクは彼らにこう言い聞かせるでしょう。
「闘う敵を絶対に間違えるな。
幸せになりたければ、小国寡民だよ。
大きいものを目指すなら、
ささやかな幸せは諦めよ」と 。
経験もしてない大人が、情報だけを教育する現代において、
多くの大人は子どもに、まったくの真逆を教えているように、
ボクは思う。