苦労人だからヒトの気持ちがわかるとか、若いうちの苦労はした方がいいという考え方があるよね。
特に年配のヒトは自分の若い時の苦労が鮮明にあって、あの時の苦労があるから今の自分があるんだということで、自分の苦労を押し付けてしまいがち。他人にも苦労させたくなるというマインドってあるよね。
親は子どもに対して、この子の苦労は苦労のうちに入るかと思う。親が強いほど子どもは言い返せない、自分はダメだと諦めてる一方で、なんとなく親殺しが出来ない。
そういう子どもには、親に認めてもらってこなかったから、自分を肯定出来ないという苦労がある。親は、自分は自分を磨いて来たし、人間というのはそういうものでしょと思う。
客観的に見れば親の苦労と子の苦労の比較なんてしようがないと思うけどね。
苦労は連鎖するというのかな。親には自分なりに苦労したことの自負がある。それと子どもの背負ってる苦労は全く別物なんだけど、どうしても自分も苦労したんだから、お前も苦労しろという押し付けがあるよね。
苦労してるヒトは苦労してるヒトの気遣いや社交というのがあって、苦労してないヒトの無礼さ、横柄さ、無邪気さにイラッとすることはあるかもしれないけど、ここは比較してもしょうがない。同じ土俵に乗せないことが大事だよね。
社会ならそういうヒトと距離を取ることはあっても、親子だと難しい。
こういう苦労の比較というのは、してもしょうがないという気がするけど、いろんなところで、世代間の分断があり、若いヒトが年寄りを老害と切り捨ててしまう。年をとったヒトが若いヒトとコミュニケーションを取れないのは苦労の比較という視点で若いヒトを捉えちゃうから。ヒトはなかなか難しいよね。
うちのカフェのように不特定多数のヒトを並べて、なんかやりましょうという時、極力、苦労の比較が表面化しないよう、もし、そういうことがあっても、お互いに尊重できるようにしていきたいなと思っているわけであります。