「強さ」について

いつもニコニコとまわりを笑わせてくれる、そんな優しいお爺さんが、あるとき、ぽつりと語った戦争中のはなし。

昭和18年。私はマーシャル群島の小さな島に送り込まれた。
青い海に浮かんだ周囲4キロほどの小さな島だ。
わたしは島を守る守備隊として、たくさんの兵隊仲間と、
最初のころは楽しく仲良くやっていた。

しかし、しかしだ。

日本軍の戦局は日に日に劣勢となっていった。
昭和18年11月、近くのタロイ島に米軍が乗り込んで、島にいた4500人の日本兵が全滅した。
それを皮切りに3か月後の昭和19年2月には、マーシャル群島の拠点だったトラック島が、米軍の空襲で大きな被害を受けた。

日本軍はそこで、もはやこれまでと撤退してしまったのさ。
わたしのいた島も小さいとはいえ、3000人が島に取り残された。
すべてトラック島からの補給だけが頼りの島だったから、その支援が途絶えてしまったのだから自活するほか無い。

幸か不幸か、米軍は残ったわたしたちを攻略しようとはせず、戦略的に重要なフィリピン攻略に向かった。
結果として、終戦までわたしたちは、小さな島に取り残されることになったんだ。

そこで。
わたしは。
人間の中に鬼を見た。

「島」と言っても、サンゴ礁が積み重なった上に、わずかに土が積もってできただけの島のようなものに過ぎない。
つまり、自活しようにも畑も作れないんだ。
川もないから水もない、椰子の木が5本あるだけだ。
地面を1mも掘ると塩水が出る。

水もない、動物もいない。
主食は雑草。ヘビ、ネズミ、トカゲ、カエル、コオロギ。
食べられる物は何でも口に入れた。

食糧不足が深刻になると、同じ仲間どうしで殺し合うまでになった。
島を歩いていると、時折、太ももや頬がえぐられている遺体をみつけた。
「ああ、誰かが食べたのだな」と思った。

正しい生活をしているものが滅び、
邪道を踏むものが生き残る。
人間は飢えると鬼になる。

不条理な現実を目の当たりにした若い私は、
悪い連中を許せず、かといって悪事を働くこともできず、
苦悶していた。

しかし、そんな過酷な状況のなかでも、
良心を失わず、必死に努力をしていたコミュニティと出会った。

わたしはついそのヒトたちに、「正しい生活をしているものが滅び、邪道を踏むものが生き残るなんておかしくありませんか。神がいるのならなぜ、この状況を放置するのですか!!」と問い詰めたことがある。

そのなかのひとりが、わたしにこう言ったのを覚えている。
「邪道に走って、良心の呵責にさいなまされるより、自分の心に正直でいることのほうが大切だよ」

わたしはいまでも島の体験がよみがえってきて、人間が恐ろしくなってしまう。
高をくくっちゃいけない、人間というのは恐ろしいものだ。
弱い人間ほど恐ろしいものはない。

あの島で、優しさを、ユーモアを、失わなかったヒトたちがいる。
彼らは、強さを持っていた。

わたしは強くならなくちゃいけない、わたしは強くなりたい。
ほんとに、ほんとに、そう思うんだ。

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