痛くないほうがいいのか

今、世の中は無痛流行りで、痛みを伴わない方がいいんだということで、いろんなものが無痛になっています。

でも、人間関係、自分の成長を感じる時は、やっぱり痛みを伴っている時じゃないかなと思うよね。

今、森を乱開発してるから、森にオランウータンの孤児がいっぱいいるらしい。この、孤児を人間が引き取って育てると、自分たちでは森に行けない、木に登れない、生活をできなくなってしまうそうで、そのためのリハビリ施設があるらしい。

オランウータンも森にいれば、痛みを伴う群れの喧嘩なんかがあるけど、そういうもの一切なくペットとして可愛がって育てられると、森では何も獲ることが出来ずに餓死してしまうらしいんだよね。

これも、現代において生まれた時からエアコン、車、スマホがあってという環境で育てば、どうしても森的、痛みからは遠ざかって生きてるわけで、そういうものから隔離されると、痛くない方がいいのか?って思ったりするね。

やっぱり痛みを伴わずに自分というものを成長させることはできないんじゃないかとゲーテも言ってる。

人間の偉大さは困難を乗り越える時にあるわけで、困難は人間を作る、幸福は怪物を作るという言葉があるけど、いつの間にかお金がある、いつの間にか自由な時間があるというのは怪物を作るんじゃないのかなと思う。

その怪物というのは、気づかない、メタな意識が育たない、というのかな。

お芝居の演出で、喜んでいるお芝居をさせると、自分の喜びとは違う、過去に見た喜んでる芝居のコピーをやろうとする。自分というものがどう映っているかについてはテンで意識がない。自分を見つめないで、無自覚できちゃってるということだと思うんだよね。それは、床暖とカーペットで育ったオランウータンみたいなもので、悲しいかな。痛みを伴わずして、自分というものを自覚することは出来ないのかもしれないね。

この痛みは自分を成長させるためには必要なことだと前向きに考えるしかない。こういう不幸をお与えくださったこと含めて、ありがたいと思って自分を鼓舞して生きていくしかないのかもね。

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