「受け止める寛容さ」について

福岡の糸島のMAMEHICOが、開店直前になって、いくつか確認申請が必要となって、オープンが延期となりました。
楽しみにされていた方、ごめんなさい。

ホウボウに声をかけ、準備を整えてので、ボクとしても、ズッコケて三回転半してしまいました。
自然の多い地域でお店をやるには、いろんな規制があるようで。
これからまた、それらを一つずつクリアしていく感じです。

さて、「コミュニティづくり」。
「みんなが集まれる場所を作りたいんです」
ってヒトがたまにいて、
「やるうえでなにかアドバイスください」
と求められることがあります。
ボクは決まって、
「コミュニティなんて、めんどくさいから止めたほうがいい」と言います。
だって、めんどくさいから。

だいたい。
ものごとを始めるヒトって、心臓に毛が生えているタイプか、フランク・シナトラばりのMY WAYが多い。
でも、こと「コミュニティづくり」は、そういう自己中タイプは向いてないんじゃないかなとボクは思う。

そもそもでいうと、いちいち周りの目を気にして、すきあらば他人に褒められたいというヒトは、向いてない。
なぜかって、褒められないから。
だけど、自分は自分のやりたいことを実現したいだけ、っていうタイプも、「コミュニティづくり」には向いてないんですね。

カフェをやってきて、実にいろんな人間と付き合ってきました。
以下、その種類。

「物質的にも精神的にも満たされてますのワタシ」タイプ。
こういうヒトは、ほんと穏やかな生活を送っていて、ストレスや苦労などもほとんどない。
実にいいなぁ、こうありたいねぇ、なんて付き合っておりますと、ときどき言葉の端々に、「苦労してる他人のやつのことなど、まったく配慮にない」ことが露見する。
まぁ、そりゃそうか。
パンがなければケーキを食べればいいじゃない的、マリー・アントワネットです。

東京にいると、常に他人と比較したり、勝敗にこだわってるヒトともお付き合いします。
競争の激しい世界で生きてるので、競争心や怒りをバネに、いつも他者と対立している。
そして、なんであれ、勝てばいいのだと、無邪気です。
わかりやすくていんですが、こういうヒトの心の中に、強い劣等感や嫉妬が渦巻いているのを知ると、ゾワッとする。
強さは、弱さを悟られたくない演出なのか。
彼、彼女の弱さを見たとき、なんとも言えない気持ちになります。

自分のしたいことに素直に従って、本能的に行動するヒトがいる。
理性的な判断なんかなくて、とにかく本能のままに行動するから、魅力的だったりもします。
だけど、付き合っていくと、どこまでも自己中心的なそれにいさささか疲れて、あんたがやりたければ勝手にやって、と距離を取りたくなる。

「ほんとはしたいことがあるのに、いつもやらせてもらえてない」と愚痴るヒトがいます。
こういう女性とボクは働くことが多い。
「もっと褒められたい、もっと愛されたい」と思っているのに、それを言ったら嫌われるんじゃないかと、奥歯を噛み締め、じっと寂しさに耐えている。
悲しみ温泉日本海、です。
それでも、ときどき孤独や悲しみが爆発して手に負えなくなって、突然、蒸発したりします。

深い絶望があって、怒りに囚われ、自分や他人を破壊的な状況に追い込むヒトって案外いますね。
心の中になにがしかの憎しみを抱えているんでしょう。

こういうヒトには関わらないに限りますが、そうもいってられないのがコミュニティ。
誰だって参加してもいいなんてコミュニティだと、こういうヒトが混じってきて、どうやって出てってもらおうかと心砕きます。

平和で物質的な豊かさの時代だけど、孤独を抱える人達がいる。
だから、コミュニティが必要だと思う。
だけど色んなヒトを受け止める寛容さは、どうしたら手に入るのか。
宇宙とつながり、万物の摂理を知ることです、とソクラテスもアリストテレスもゲーテも釈迦も老子も言っているから、そうなんだろうと思う。

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