「自分なんていない方がいい」という自己否定を感じている若いヒトが多いです。
今の若いヒトたちの抱えている悩み、経済的な貧しさは、とんでもなく深刻だと思うよ。結婚しない、子供もいない、車を買うお金もない。結婚ではない形でどう幸せに生きるかが課題で、結婚して子どもを産み育てた方が良いなどということは、上の世代の価値観で言っていることだ。
こういうことになっている背景をなんで考えないのかな?
そんな中で、みんな仲良くという一つの理想論の中に、若いヒトはいて、表面的に仲良くしようとすると、自己否定して自分なんかいなくなればそれで解決、と短絡的な考え方になったり、自分の中の孤独感を押し殺して、無理して他人と仲良くしようとしたりする若いヒトたちが多い。
その慰めとして、ディズニーやアニメなどのバーチャルなものに自分の身の置き所を委ねちゃうのはある意味しょうがないよね。
でも、現実はずっと厳しいわけ。いつまでもそういうお花畑には逃げ込めなくて、どこかで社会との接点を持ち、現実を受け入れていかなきゃいけない。
バーチャルの世界ではなくて、現実の中に、小さな希望、生きるすべを持つということができた方がいいとボクは思う。現代にはそういう大人がいないし、そういう大人の視点が欠けている気がするよね。
みんな仲良くしたいなら、距離を詰めない。一定の距離を保った状態で付き合う。
近くなりたいのであれば、自分を曝け出して素直になることがないと、他人と丸裸で付き合うのは難しい。親しき中にも礼儀あり、どんな時でもきちんとした着物を着ているという生き方もあるけど、裸になった自分を受け入れて欲しいという気持ちって男でも女でもあるんじゃないかな。
自分なんか消えた方がいいと思う一方で、どこか救われたい、行くところがないというので揺れちゃって、混乱してどうしたらいいかわからない。
そういう時の糸口というのは、信仰心じゃないかなと思うんだよね。何かを信じる、そういうものを持てる社会になったらいいなと思う。今はお金しか信仰してないもんね。