ヤマ(雑木林)とサト(家)とノラ(畑)というのは武蔵野の街並み、面影を表した言葉なんですね。
先だって場作りの会というのをやって、東京についての話をボクなりにしたんだけど、その中でも面白い話があってね。
東京は、徳川家康が江戸を開いて巨大都市ができたんだけど、もともと関東平野は関東ローム層という火山灰が降り積もった土地で、ヒトが住んだり畑作や稲作ができるような場所じゃなかったものを、300年かけてサスティナブルなシティにしたんだよね。
徳川が関東ローム層の土壌改良のためにどうしたか?
落ち葉を集めて、腐葉土にする落ち葉堆肥農法というのを発明してヒトが住めるようにしたという背景がある。もともと日本は照葉樹林地帯なので、冬になっても落葉せずに鬱蒼とした暗い森だった。
その照葉樹林を伐採して、楢、クヌギ、栗などの広葉樹を植えて、落ち葉を堆肥にして畑に入れていく。さらに、成長したナラを伐採し、それを炭にする。伐採した木からまたひこばえが出て成長した木を定期的に切り、下草も枝も払って人工林を振興していたというのが武蔵野の面影。
今は化学肥料も発達して、さらに化石燃料が出て、雑木林を手入れする必要がなくなり、炭も腐葉土もいらないということで、雑木林が宅地やマンションに変わった。国分寺にはボクが作ったお店でクルミドコーヒーというのがあるけど、そういうのを寂しいと思う気持ちからクルミドコーヒーは生まれ、クルミという雑木林のシンボルをお店の名前にしたんだよ。
更に、埼玉の所沢の地域に江戸時代に開墾して新田、畑にしようとした三富新田という地域があって、そこは武蔵野の落ち葉堆肥農法というのが300年も続いている。ここもまたボクが作ったお店、空水茶屋のあるところなんだよ。
どちらのお店も先祖が守ってきたヤマ・サト・ノラの誇りの上にある。
それがどういうわけか、MAMEHICOやボクのところに接続されて、クルミドコーヒーと、空水茶屋、明石農園さんと繋がることになるんだなぁと思ってね。
根っこには目に見えない力みたいなものが宿っていて、その力に突き動かされているよなとは思ったりする。