ボクがちょうどパートⅢをのぞいたとき、おじさんが声を荒げて怒ってました。
冗談じゃない。
何にもわからない女連中に、
「きちんとお肉は揚げなさい」、だとか、
「とっとと時間内に仕事は終わらせてください」だとか、
仕事の一挙手一投足を、とやかく言われる筋合いは毛頭ない。
あんな素人が、オレをなんだと思っているのか。
おじさんの話しをいちいち聞けば、うんうん。いちいちごもっとも。
とやかく言った女連中には配慮が欠けている。
あいつらときたら、男ってものがまるでわかってない。
相当怒っている。
もう一方の話しも聞いてみる。
おじさんはきちんと見張ってないと何をするかわからない。
きちんとこちら側で管理してやらないと。
こないだだってね。
とまるで飼い犬の飼い主のようなことを言ってる。
まぁね。たしかにね。
それはそれ。もっともなことも多い。
おじさんにもっと女性ってものをわかってもらわないとね。
そういうどーでもいい話しが北海道から戻ったらごっそりあって、
どこに顔を出しても、ほんとにどーでもいいことばかり、
ボクのとこに寄せられてくる。
ハタケはハタケで穏やかに楽しい毎日なんてことはなくて、
似たり寄ったり。
怒ったり怒られたりの毎日だったから、
いささかイヤになる。そういうときは寝るしかない。
ただ。
こういう話しはどこにでもあるんだと思う。
人と全く付き合わず、何もしなければ
何もないのかも知れないけれど、
何かをする、ヒトと関わって生きていくということは、
どうでもいい誤解とは切っても切れず、無用に神経をすり減らすことになる。
たいていの場合、ハッキリとした問題が横たわっていて、
それをどければ解決する、ということではない。
なんとなくアイツの顔が気に入らない。
なんとなくアイツの態度が気に入らない。
なんとなくアイツというヒトが気に入らない。
要はそういう話しなんである。
あぁメンドクサイ。メンドクサイのはダイキライ。
女の子たちは口をとがらせて唱和するけれど、
メンドクサクしてるのはアナタたちなのだから仕方がないではないか。
おじちゃんに一通り話しを聞き終わり、
「まぁ、女の子が多いところだから苦労あるだろうけど仲良くやってよ」と言ったら、
「了解。オレの話し、わかってくれるのは社長だけだよ」と言ってくれた。
もちろん、そんなの社交辞令なんである。
そして、「はい、この話しはこれでおしまい、お店開けて頂戴」と笑ってくれた。
もちろん、作り笑いなんである。
でもね。
そういうことが大事なんだと思う。
愚痴は言う方も聞く方も結構、疲れる。
それをあちこち散々聞いてたら、気持ちが落ちる。
そのときにエスケープを作ってくれること。
それがあるか無いかが、「ものを言う」んだと思う。
北海道で、こちらが近道と細い山道を行くことがある。
ぐんぐんぐんぐん走っていく。
あたりは薄暗くなって、さらに細道になって、
それでも上へ上へと目指していく。
あるカーブにさしかかったとき、突然上から一台の車が下りてきた。
向こうもかなりのスピードで白煙を上げてブレーキを踏む。
互いにブレーキを踏んだまま、にらみ合う。
ちぇっと舌打ちする。
向こうの舌打ちも聞こえてくる気がする。
しばしの沈黙があって。
ふと。
車と車のちょうどまんなかあたり、
ほんのわずかだけれど、轍の脇に芝生があり、梢から漏れた日差しが当たっている。
あぁ、助かったと思う。
道をそれてその芝生に車を運ぶ。
上の車がそろそろと下りてくる。
こちらの脇をぎりぎりすれ違うことができた。
運転席を見る。運転手がどーもどーもと会釈してくる。
こちらもいいえいいえと会釈する。
もし仮に、ボクらの間にそのエスケープがなかったら。
近道どころか相当な遠道になっていたと思う。
そしてその日は一日、憂鬱な日になってしまう。