久しぶりに事務所の資材室を見たら
珈琲ポットが奥の奥の箱の中にどんどん溜まっていて、
偶々それを見つけたボクはポットを前にして、
色々と思惑しています。
先っぽが欠けた珈琲ポットたちは
負傷した兵士のように前線から外され、
野戦病院のように、この管理室に運ばれ段ボールの中に溜まっているのです。
ポットの先っぽはその美しいフォルムの代償として、
かちんと、少しでも堅いところに触れると、
欠けてしまう宿命を背負っています。
おそらく、欠けてしまう瞬間は食洗機の中で互いに
食器と食器がぶつかった場合が一番多いと思われ、
その、おそらくというのは、
大概の場合、その瞬間を目撃されることはなく、
手が滑って落としてしまったというようにハッキリと現場が目に見えることはなく、
ポットの先欠けは、いつの間にか欠けてしまっていました、
という見えないうちにその生命を終えています。
そうなったらおしまい。
ゴミです。
捨てましょう。使わないでね。
優しい口調だけれど、冷やかな女性たちの暗黙のルールが
お店の通年になっているらしく、
だから、どんどん資材室に
先欠けポットが溜まってしまっている状態なのです。
マメヒコで年間に捨てられたり割れて処分されたりする食器の量は
捨て猫や捨て犬の処分とおんなじ、
実は目を背けたくなるような数(計算してないけど金額もスゴイはず)なのです。
でも、溜まる一方と言うのも、
なにやらおかしいと思いませんか。
だってポイと捨ててはいないと言うことですから。
欠けたらその場でポイというルールを遂行するのなら、
溜まらないはずでしょう。
それは、恐らく、これもボクの勝手な推測ですが、
そういうルールはルールとしてあるのだけれど、
たぶんポイと一息に捨てるのは忍びないのでしょう。
だって、先が欠けているだけで、ポットとしての機能は何一つ問題ないのですから。
身体はまったく、どっこも異常ないのに、前歯が欠けただけで、
死を宣告されるなんてそれはあんまりじゃありませんか!?
そういう気持ちが女性スタッフの中にあるんだろうと思います。
(聞いてないから知らないし、たぶんなんにも考えていない可能性が大だけど)
冷やかなルールを集団の一員として決定しておきながら、
運行する一個人となると、わたしはそこまで冷徹ではありませんよと、一員の立場から外れたようなことを言う。
「あたしが決めたんじゃないのよ、あたしは別段欠けてたってかまわないけれど、
みんなが、ダメって言うから、ごめんなさいね、捨てるわね、恨まないでね、さよなら」。
「あたしが決めたんじゃないのよ、あたしは別段かまわないけれど、
両親が、ダメって言うから、ごめんなさいね、別れましょう、恨まないでね、さよなら」。
食器類は欠けたら全く使わないというルールはわかりやすく、
反論の余地のない単純明快なルールだと思います。
それでいいのです。それでいい。
ボクだってその一員の一人には違いないわけですし。
思惑しながらふと。
ボクはこっそりとこれらを店に戻すことを思いつきました。
ポットはポットとして、注ぎ口のフォルムはキュッとしているべきだし、
欠けにくそうな、いかにも頑丈ですっていう無骨なポットでお茶は飲みたくない。
かといって、先っぽにゴムがしてあるポットではもっと飲みたくないし、
かといってこの程度の、先が欠けてしまうものを、外してしまうのもどうかしら。
明快な理由などなく、なんとなく見捨てる気にならないなぁといういたずら心で
ボクは店に戻してみました。
スタッフはまた、すぐさま「欠け野郎」を見つけ出し、
前線からつまみ出してしまうでしょう。
そうしたら、ボクはまた、
それらを見つけてこっそり戻してやろうと思うのです。
欠けても構わず使いましょう、なんてルールを強要する気なんかさらさらなく、
いたずら、として戻してみる。
そう思いたったのです。
いたずらを思いたち実行するのは、ボクしかたぶんいないから。