唯一無二のカフェを創る

いかひこ塾

カフェ運営をしていると、経済、世界の歴史、日本の歴史、あらゆる通俗文化、心理学、と幅広く関心を持つようになります。

そういったマメヒコで培った知識を、井川は広く様々な形で発信していますが、さらにみんなで共有したいと考えて「いかひこ塾」という会員制のサークルを作りました。

  • 会費 月額 1,500円
  • 毎朝 チャットワークにて朝礼。
  • 月一回、マメヒコにて、いかひこ塾。
  • 遠足。食事会など、イベントのお誘い。

井川啓央主宰

主宰のはなし

カフェで気づいた人間関係

テレビ番組のディレクターをしていたボクは、カフェもメディアの一つになりうるんじゃないかという目論見で、カフエ マメヒコを2005年に作ったんですね。あの日から今日まで、休まずカフェの営業をしてきたわけですよ。それはそれは大変でしたけど、そのおかげで、たくさんのヒトと関わることができた。それもかなり濃密に。

出会ったヒトたちのなかには、ボクのカフェ、つまりマメヒコに就職を志望してくるヒト、結果として就職したヒト、そして辞めてったヒト、残ったヒトたちがいます。ほとんどが若い女性たちです。そしてそのほかにも、マメヒコのお客さん、こちらは老若男女、実に様々なヒトたちですが、ほんとにたくさんの出会いをしたんです。これらの出会いは、ボクがカフェをやっていなければ知り合うことのできなかったヒトたちです。

これは無形の財産です。今ボクが小説を書いたり、映画を撮ったり、リサイタルを開いたりできるのも、その財産のお蔭でしかありません。

たくさんのヒトと出会い、別れたりする経験を通して、あれ?と思う傾向というのかな、そういうことに、いろいろと気づかされたんです。

端的に言うと、多くのヒトが、とても傷つきやすいということですね。そして傷つくことを恐れている。怖いもの知らずでカフェを開業したボクからすると、ちょっとわからない感情でした。ほんとにちょっとした経験や言葉で、深く傷ついてしまう。そして傷つきたくないからでしょうか。他人と踏み込んで関わろうとしないんですね。なんでも上っ面だけで、ヘヘヘとしてる。悪気もなく、ただ、ヘヘヘとしてるんですよ。でね。関わろうとしないくせに、心の奥では、とてもとても寂しいと感じているんです。

ボクなんかは、袖触れ合うも他生の縁と思って生きてますから、とにかく深く関わろうとします。まぁ、散々ですよ。なんか裏があるんじゃないかとかね。変な人物なんじゃないかと警戒されたり、ときには批判されたり、けなされたりもするわけです。まぁ、イラッとしますね。落ち込んだりもしました。けど、何回も経験するとね、なんでこんな風に思うヒトがいるんだろう。という人間の興味のほうがボクの場合は勝っちゃうんですね。寂しいと泣いていたヒトが、突然、牙を向いて裏切るようなことをしたり、するのをなんでだろうと考えちゃう。

そして、どうもこれは、時代の傾向じゃないかと思って納得してきたんです。自分なりに解釈して、言葉にして、前に進んできた。

いかひこ塾は、主宰の井川啓央とカフエ マメヒコ、参加者で運営する塾です。

競争社会とシステム社会

ボク自身は評論家やコンサルタントとはかけ離れたところにいますから。うんざりするほど世知辛い現実の中にいます。東京の真ん中でカフェをやるというのはそういうことです。お店を始めるのも大変ですが、とにかく続けることが、なにより大変なんですね。

とにかく、すごい競争社会なんですよ。需要と供給のバランスが崩れてるところに参入したからと言ってしまえばそれまでですが、つねに新しいもの、進歩、成長、向上を求められる。悪いところはすぐさま改善を求められる。これでは休むことなんてできません。ランナーが走りながら骨折を治していく、そんなところがある。疲れたら、即退場しろ、という世界ですよ。カフェの持っている、ゆるりとしたイメージとは、反対のところにありますよ。

休まずやったって褒められるとか、儲かってしかたないとかそんなんじゃないですよ。家賃だって、お給料だって、銀行の返済だって、一日も待ったなしというなかでやってるというだけです。最近は頑張ってやると、それでも文句言われたりね。なに頑張ってるんだ。もう生き残るだけ必死という世界にいることを責められたりもする。

うち以外のよそはどうかといえばね。どこも大変でしょ。とにかく巨大なシステム社会ですからね。まだカフェだから人海戦術でやれてるだけで。身近なところを見渡したって、コンビニ珈琲なんて、あんなものに太刀打ちなんかする気もないしできないですよ。全国一律、100円で提供してね。逆立ちしたって人間ができることじゃないよね。物流にしたって、クリックすれば世界中の物が玄関に届くなんてことなんですから。もう人間の出る幕はないよなという感じです。

渋谷・公園通りのマメヒコをお手伝いの場としても提供している。

逃げられない自分

そんな社会で、カフェを経営しているボクは、人間のこれから、これからの人間を考える必要があるんですね。人間が人間を必要としなくなって、カフェなんか人間がやらないほうがいんだという世の中になったら、ボクらは店じまいするしかないんですから。でもボクは人間がやってこそのカフェだと思ってます。マメヒコは高いなと陰口言われても、もう機械と同じ値段でやれないんだから。自動車ができれば人力車に乗らないかと言ったら、そんなことないと思います。ビニールかばんがあっても、籠を使うヒトはいる。ボクらは人力車や草履として、どう生き残るかを考えるしかない。

幸か不幸か、カフェをやってるボクは、他人と関わらずにはいかないんですね。店もあるし、店の借金もあるし。逃げる、避ける、離れる、という選択肢を取れない。だから腹を括って、自分なりのスタンスでヒトと関わろうと決めてしまったのね。それで見えてきたことがたくさんある。

自分を愛せない、居場所がない

周囲を見渡してみると、ある傾向に気づいたんですよ。それは、どうも自分を愛せないと感じているヒトが多い。多いというか、ほとんどのヒトが自分を愛せないという感じです。それはとても困った現象ですよね。自分を愛せないというのは、体にもよくないし、社会的にもよくない。なにかをやろうという気力がないんだから。

それでね、自暴自棄になってるかというと、そんなんでもないんですよ。自分はダメだと言いながら、それを慰めるエンターテイメントや暇つぶしはいっぱいあるからでしょう。それでどこか屈折してしまっているのね。自分に対しても、すごく嫌いだけど、全部嫌いではない、ホントは好きという感じなんです。当然、自己愛はあるんだけど、すごい理想があって、それに遠い自分を嫌悪する、という屈折が起きてる。どこかでオレはワタシは特別だと思いたいんですよ。

寂しいです、というヒトもそうね。寂しいなら他人と関わるしかないでしょう。だけど、他人に対してはちっとも寛容じゃない。あいつ、煩わしいとか言ったりする。ボクはお節介だから言いますよ。「でもきみさ、そんなあれもやだこれもやだなんて言ってたら、結果として孤立して、余計に寂しくなるけどいいの?」ってね。

耳の痛いことを言います。だって言わないとわかんないから。言ったってちっとも自覚ないヒトもいますけど、何回かは言います。ひとまず自覚してもらわなきゃ。逃げ回ったって解決なんかしないですよ。だけど、まず聞きたがらないわね。こっちの信頼が足りないとダメだから、信頼足るよう努めるけど、信頼してもらっても、現実の自分を直視するのは、それほど嫌なことなんでしょう。

なかには、「そんなこと言ってくれるヒト、いままで、まったくいませんでした」っていう場合も多いです。「ほんと?なんで?みんないままでシカト?」。あなたは、あなたのままでいい、とか、そもそも関心がないと。それは寛容というのとは違いますよね。寛容と無関心は違う。みんなが関わって面倒になるのを避けようとしてる。他人に関わる余裕もないんでしょう。

自分ひとりで生きていくんなら、しれっとしてても生きていけるでしょう。自分ひとりで生きていける時代だしね。けど、やがて居場所がなくなるかもよ、それでいいの?って聞くとみんな嫌だって必ず言いますよ。

北海道の畑で豆とカボチャを栽培するハタケマメヒコ。東京のスタッフとお客さんで作業をする。

イベントを通して

他者と関わることはプラスの面よりも、マイナスの面が多いのは確かです。そもそも自分ではないから他者なわけで。道具じゃないからね、ちょっとした食い違いにイラッとします。でもね、やっぱり他者と関わることで教わることも多いんですよ。マイナスの経験のときにたくさん学ぶんですね。だから他者との経験は積んだほうがいい。

カフェの店員はシャイなヒトが多いですし、お客さんも若いヒトは大抵シャイです。それで狭い店内でおんなじ店員とばかり過ごしてたらいけないなと、店員とお客がゆるいけど濃いつながりを持てる機会を作りたいなと思ってイベントを始めたんです。だからイベントの中身は何でもよかったわけ。

イベントに参加してもらったお客さんにも、積極的にカフェのお手伝いなんかもしてもらうのね。もともとカフェは人手不足だから手伝ってもらうと喜ばれます。だけどやっぱり最初のうちは喜ばれても、そのうち色々とうるさいこと言われたりしてね。喜ばれずに文句言われると、そこで折れちゃう。迷惑かけたくないとかなんとか言ってね。自分の理想と現実の壁に折り合いつけられなくなるんでしょう。でも折り合いつけるのが社会だからね。そういう自覚がないヒトが多い。

ごちゃごちゃ言われたくないから、学力とかスキルとかに逃げるヒトたちも多いでしょう。そして金儲けするんだというストーリーを描くのね。それはファンタジーだから楽しいですよ。だけど逃げなのね、自己満足なんですよ。他者との関わりをどうするかというのは、学力やスキルとは違った経験を積まないといけないことだから。やっぱり虚しい壁に必ずぶち当たると思います。

他者と関わり幸せを感じる

イベントを通して、人見知りだったヒトが、変わっていくなんてことがあるんです。何年も時間がかかりますけど。寂しそうな感じの表情だったヒトがね、他人と関わることで自信を得て、顔つきが変わる。幸せを感じていく。幸せなんて大げさだけど、やっぱり必要とされてることで幸せを感じるわけね。

自分なんかなにもできない、だから一人でダイジョブです、なんて冷たい顔して言ってるヒトだって、他者と関わる中で、自分にできることがみつかれば破顔するものです。もちろん、できることがみつかるまではなにかしら続けなくちゃだけど。

喜んでもらえる体験の機会を注意深く提供すること。これは小さなカフェの新しい役割なんじゃないかと最近思ってるんです。スタバとかがサードプレイスと提唱したでしょ。でもあれは場所を提供しただけでね。もっと日本の場合はね、深くコミュニケーションに帰依する機会をカフェが提供できるんじゃないかと思うんですね。

巨大なシステム社会や過度の競争社会で、自分を愛せずに傷ついた都会のヒトたちが、ほかのヒトのために役立ったと体験できる機会を提供する。お金儲けでもなく、ボランティアというのでもなくてね。

何年もこういうことをやってきて、いまはなしたような考えが根底にあって、「いかひこ塾」を考えたんです。

畑で採れた豆や野菜を使ったハタケの食事会。

いかひこ塾が目指さないこと

いかひこ塾は、技能を学ぶ場所にしてはダメだということですね。セミナーみたいな感じにすると、参加者は役に立ってる、立ってないという判断をしますね。そういう空気が蔓延するとダメなんです。ボクはそういう会を主催したいわけではないのね。

なんとなく空気に惹かれて集まる。そういうのがいんです。

そんなんで誰が集まるんかいな、と思われるかもしれないけれど、いままでそれでやってきて、充分すぎる成果があったからそれでいんです。逆にカフェが主催で、学力上がります、スキルつきます、金儲けできますっていうことでヒトを集めたら、不安で仕方ないヒトがたくさん集まる気がするな。だって効果に確信を持てることにしか乗っかれないというのは不安の現れでしょう。そういうヒトを集めてお金を取れば、色々と大変だと思うけど、そうでもないんですかね。

とにかくボクができるのは、他者と関わる機会を慎重に作る。それは簡単に説明できるノウハウじゃないけどありますよ。その機会を塾という形で提供するんです。

月一度の講義は専門的な知識ではなく、多岐に渡るテーマで広く物事を考えるきっかけとする。