いまボクが取り組まなくてはならないこと 第2回 3周年記念「タダヒコ」

 今年の7月1日にマメヒコ三軒茶屋は3周年を迎える。おかげさまという思いでいっぱいです。来てくだすったすべてのお客様に、感謝感謝の気持ちでお礼の歌を歌いたいほどだ。1周年、2周年はとくになにもしなかった。つまらない粗品を配るのはつまらないし、期間セールをするのも芸が無いし、パーティーをしようといった声もあったが、誰を呼ぼうか考え出すとしっくりこなかった。毎日、当たり前のことを当たり前のようにやることがなによりものお礼だということになって、特別なことはしなかった。
 けれど。3年というのはひとつの区切りだ。なにかをやるにはちょうどよい。お客さんもほどよくマメヒコが変なカフエであることを理解してくれているみたいだし。 だからボクは3周年を記念してあることを考えた。

 「タダヒコ」。

もう一度言い直してみる。

 「タダヒコ」。大胆でかつ端的なネーミングだ。 
 7月1日、マメヒコ三軒茶屋店はその日一日、全品タダにします。ドリンクもフードも老若男女、ぜーんぶ無料。だから、タダ(無料)ヒコ。

 飲食店というのは人手不足が深刻だという。求人誌に載せても誰も来ないらしい。かつては「ちらほら」来たけれど、ちょっとまえから「ちら」、もういまとなっては「ち」も来ない。ソウイウ時代ナンデス社長。求人誌の担当者が内心うれしいくせに親身なふりをしてボクに耳打ちをする。
 なるほど。
 確かにうちも人手不足だと感じることも多くなってきた。うちだけではないと聞いて少し安心したが、そんな安心は安らぎとはいえない。求人誌を開く。たしかに。うんざりするほどの厚さだ。めくってもめくっても飲食店の求人広告。あの居酒屋も、あの高級レストランも。人手に困っていないレストランなどあるのか。ページをめくれば驚くことばかりだ。皆さんも一見の価値ありです。
 見開きいっぱいの頁に踊るその謳い文句がすごいのだ。
 「今度の夏休みは彼女とどこいこうか/○○○ダイニング」。「頑張ったボクは半年で店長です/○○○フーズ」。
 大手と呼ばれるところほど求人に困っているのだろう。いかに休みがとれ、いかに簡単に役職に就け、いかに高給が取れるかといった甘いキャッチのオンパレードなのだ。ほんとうかと目を疑うようなものもある。しゃもじを買うとダイヤの指輪がついてくる。といった具合だ。それがほんとならまっさきにボクが応募したい。ネッ、ソウイウ時代ナンデスヨ社長。と耳打ちされる。それが世の時流?ならばマメヒコの求人広告はただのKYだ。空気が読めてない。

 マメヒコは大変です。/マメヒコは頭で考えてもらいます。/マメヒコはお給料も高くありません。/それでもマメヒコで働きますか。/

 憧れと現実は違う。だから初対面で思いつくままにこのひとに起こりうるだろう困難を言ってしまう。どうせあとで気づくことなのだ。どうせあとで苦労するのだ。へこたれそうになるとき、思い立った最初の強い情熱だけが、ひとり立ちできるまでの唯一の支えとなる。
 それでもマメヒコで働きたいという奇特なひとが、今日もマメヒコを開けている。

 体力と覚悟があれば未経験で知識が無くとも採りましょう。というのがボクの採用方針だ。知識や経験とは困ったときの自分を支えてくれる浮き輪のようなものである。だから荒波を泳ぎきる体力と覚悟があれば、浮き輪などなくてもよい。
 しかし泳げず浮き輪も無いとなると、それはたぶん、

 溺れる。

 採用面接をしているとカフエに知識なんて必要なんですかというひとがいる。断っておくが要素の多いカフエはものすごい量の知識が必要だ。無論、弁護士や金融マン、医者なんかに比べればたいしたことはなく、興味があれば十分覚えられる程度のものだけど、その興味も持って無いとなると、なんでここにいるのかということになる。ダージリンとアールグレイの違いも知らずにカフエで働きたいというひとがいる。そしてそういうひとを採ってきた。でも心臓が右にあるか左にあるか知らずにブラックジャックになりたいというようなひとがいるだろうか。いたとしたらそういうひとはブラックジャックという医業に就きたいのではなく、手塚治虫の漫画を読むのが好きな読者だ。

 ところがお客さんとたまに話しをするとお茶も珈琲も詳しいかたがずいぶんとおられる。なによりマメヒコに詳しいのである。ありがたいやら嬉しいやらの反面、なんだかお金を頂戴して申し訳ない気持ちになってくる。こんなに紅茶にお詳しいお客さんに、うちのスタッフはアールグレイもろくに知らずに接客しているのか。マメヒコは少しばかり値段が高い。高い値段をつけざるを得ない理由が間違いなくある。飲食店の経費のほとんどは家賃と人件費と材料費で、家賃も人件費もそうそう削れないから結局のところ安易に材料費を削ってしまう。材料費も削りたくないとなると、どうしてもお値段が高くなってしまう。うちの場合はそうだ。人件費。店員の給料、店員を集める経費、店員の質を向上させるのに必要な経費。これらは会社が負担しているのではなく、お客さんが負担している。珈琲の値段の何百円かはモチベーションの低い店員のモチベーションを上げるのにお客さんが負担しているのだ。これらがもしかからないとしたら。お客さんはマメヒコでお茶を飲んでも限りなく安く飲める。

 そこでこう考えた。

 マメヒコで働く従業員がお金を払えばいいのではないか。全国からマメヒコでお金を払ってでも働きたいひとを集めればいいのではないか。そうすればお客さんはタダでいい。

 これがタダヒコのからくりだ。

 タダヒコはひょっとするといいことずくめだ。まずお客さんはタダでマメヒコを利用できる。そして働く従業員はお金を払って働くから、元を取ろうと思って頑張る。たとえば本業が大学教授というひとがいたとする。彼は珈琲が大好きで是非一度、自分が淹れた珈琲を目の前で美味しそうに飲む顔を見たい。そのためならお金を払ってでも働きたいと。たとえば紅茶に詳しいシステムエンジニアはインドの茶園まで良い茶葉を求め、誰かにこの味を伝えたいと心底思っている。そんな機会があるのならお金を払っても働きたいと。接客が好きな専業主婦や、マメヒコが大好きな歌手や、まぁ動機は何であれ、お金を払ってまで働きたいのだからよほどの人材が集まることうけあいだ。いつもよりも人数が多いから接客も充実しているかもしれない。そうなると今いる店員たちもうかうかしていられない。お金を払って働いてるスタッフのほうが、モチベーションも質も高いとなると下克上だ。草野球の新入部員にイチローが入ってくるような衝撃があるかもしれない。

 こんな無茶に付き合ってくれるそれこそ奇特なひとがいてくれることが前提だが、仕事とはなにか、お金とはなにか、ひいては生きるとはなにかを考える機会に「タダヒコ」はなるかもしれないと、
 口の中で「タダヒコ」と何度かつぶやいてみる。

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