おととしにひとりの初老の男性のひとつのさみしい訳を知りました。
このままではなんだなぁ、聞いちゃったモンなぁ。
マメヒコでなにかできないかと考えた末に、
紆余曲折、パートⅢを始めたんですね。
それが店を始めて一年経った秋ごろ、
またなにか深い訳があったのかな。
おじさんはふと、ほんとにふっと木の葉が落ちるように
ボクらの前から何も言わず消えてしまいました。
そのことをボクはちっとも恨んだりしてませんが、
狼狽するみんなの顔を見て、
冷静に、さぁて、どうしようと少しばかり困りました。
顔色、罵声を観察しながら色々考えあぐねた末、
これをやるしかないな、と、7週間でマメヒコ飯店を形にしました。
とんかつと、純喫茶と、パン工房を併せ持ったパートⅢを形にした時も、
定期券を使えば1週間ただで食べられる中華風?食堂、マメヒコ飯店を形にした時も、
どちらも。
このほかの選択肢があれば教えて欲しかった。
ボクが知りうる限り、ほかの選択肢があったとすればそれは、
「なんにもしない」、という選択肢しかなかった。
そう思います。
ボクらの周りにあった、
いくらかのモノ、
わずかばかりのお金、
ささやかな場所、
狭い了見と経験、
そしてなぜかそこに居合わせた、ヒト。
そしてそのヒトの顔に映っている、運命というのかな機運。
これらすべてを考慮した結果が、パートⅢであり、飯店であり、
そもそもカフエ マメヒコなんでした。
左から右に直線を歩いていれば、出会いもあるけれど、
哀しい別れだっていくらだってある。
そのとき。
なんにもしない、辞める、という選択肢を選ぶこともできた。
けど選ばなかった。
それが、いまでしかないんです。
映像制作から飲食業へ。
カフェから劇団へ。
劇団からとんかつへ。
とんかつから中華へ。
・・・・業態転換。
マメヒコを初めてただの一度もボクは転換したことなどない。
ただ一直線に歩こうとしすぎた嫌いはあるかもしれないけれど。
毎年、年の始めは
今年もまただれか居なくなってしまうのかなぁと、
ナーバスになってしまいます。
それは、年の暮れに、年の初めのフィルムを重ねてみたら、
やっぱり、欠けているモノが際だつもの。
そして今年もきっと、そうなんだと思う。
フィルムにぽっかりと空席が目立つ。
それでもやっぱり。
なんにもしない、という選択肢をボクは選ばないと思う。
そのことを、すごいことでしょと、ボクは思っていて、
ほんの少し誇らしいのだけれど、べつにそのことを褒められたことはなく、
ただひとつ、いつも業態転換でいそがしそうね、と気の毒そうに言われてしまう。
転換とは前進ということじゃないか。と自分でなぐさめて。
あけましておめでとう。
旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
今年もカフエ マメヒコに、よろしくお付き合いくださいませ。
今日から三軒茶屋、渋谷、飯店、ともに開店です。
2012,1,4 カフエ マメヒコ 井川啓央