「あなたの誕生日は、あなたのおじいちゃまのご命日なの。
だからあなたは、おじいちゃまの、生まれ変わりなのよ。」
そんなセリフを、ドラマや映画なんかで聞いたことがあります。
大切なヒトが亡くなって、どんなに追悼の思いで悲しみに打ちひしがれたとしても、
哀惜の念に溺れたままでは残されたほうの日常を営むことができません。
だから、故人との大事な思い出やなにもかもは忘れることで、ヒトは生きていくものです。
残酷だけれど、ヒトの基本構造とはそういうものです。
けれど、死んだらただの灰になって風に飛ばされそれでしまいなのさ。
それではまた、あまりに無機質過ぎて生きていくうえで救いようがない気がします。
ひとつの新しい命が誕生する。
それも、おじいちゃまのご命日に!!。
これはきっと、生まれ変わりだわ…。そうよね、ぜったい。
そう信じたいのもまたヒトなのです。
そう信じることで、自分の中のすっきりしない気持ちが、
すーっとラムネが舌の上で崩れていくみたいに。溶けていく。
一過性のごまかしだとしても。
マメヒコ飯店が閉まって、その翌日に、公園通りが開きました。
そういう経験は、マメヒコをやってきて初めてのことでした。
ボクは、飯店には一角ならぬ思いとエネルギーを注いできました。
とんかつとサイフォン珈琲のパートⅢから始まり、
二転三転、傍目にも節操なく、あの手この手と中身を変えました。
スタートから属人性の高いお店を作らなくてはいけなかった。
そのことが、結果として、関わってきたヒト、関わってるヒトの気持ちが変われば、
中身もがらりと変わらざるを得ない。
そんな宿命を持った店でした。
最後は立ち退きという、飯店らしい終わり方をしました。
三年の間に。
ボク自身、小さな喫茶店が食事を提供することの難しさに直面し、たくさんの混乱と困惑に疲れました。
パンを作ることで、いくつもの期待と失望も味わいました。
映画を作り上映することになり、なにやってんだろという気持ちと、ささやかな今後の希望を持ちえました。
飯店で定期券をやったときは、理想と世間というものをいやが上にも知りました。
なにより飯店を通して、ヒトと世間は変わってゆくもの、時の流れということをひしひしと感じた三年でした。
公園通りは、やりきれなかった思いを、どう克服しようかなと考えながら作ってできたものです。
それはいま、真っ最中の宇田川町の現場に立ちながらも、考えているのです。
そういう意味では、ともに飯店の生まれ変わりかもしれません。