喫茶店の本質みたいな店に来た。
50年来、ずっと変わらない店だった。
人も少ない小さな町の、
人通りない裏路地にあるその店に、
ひっきりなしにお客さんがやって来る。
ただひとえに、
店主の優しさでこの喫茶店は人気なのだ。
ネクタイをきちんと締めたいい歳をした店主は、
若い女の子にも、足の悪い年寄りにも、
初めて来た無愛想なボクにも、
「ゆっくりしてってね」、
「美味しいもの作ってあげる」、
「今日は滑るよ、滑るからゆっくりね」
と、ひとりひとりに声をかけ続けている。
こんな風に接客していたら、
さぞかし、疲れるだろう。
わかる。
こんなに優しくしていては、保たないはずだ。
少し静かになった頃、亡くなった妻の話を、
カウンターにいる常連と話し始めた。
「いやね。もっとね、
なんでね、まったく。
こんなに早く逝くんだったらさ、
もっと優しくしなかったかなってね。
後悔しかないもんね」
と話しているのが柱の後ろのボクにも聞こえた。
その自責の念からなのか。
お客に、ここまで優しいのは。
彼の目は笑ってはいない。
お人好しというタイプではないのだ。
その証拠に、古い店で手垢一つついていない状態に保たれているのは、
この店主の異様なまでの厳しさがあるはずなのだ。
店に賭けた分、身内であり、同じ職場の妻にだけは、
辛く当たったのかもしれない。
それならわかる。
「女なんてさ。
たとえばね、100万渡して、
好きなとこ行って遊んでこい、なんて言ったってさ。
なんも。
ほっとんど使わないで、帰ってきちゃう、
そういうもんだもね。
女は使えないんだわ。
ちゃんとお釣り持ってきたりしてね。
うん。
でもさ、だったらさ。
なんでもっと生きてるときに、
100万渡して、好きにしていいぞって、
言ってやんなかったかな。
馬鹿だ。オレは」
店主の優しさに触れたくて、甘えたくて、
勝手気ままに、次から次へと、お客は集まってくる。
注文したエッグサンドは、
フィリングの卵がゆるゆるで、切ったときにほとんど潰れかけている。
「ごめんねゆるくて」と店主は、ボクに謝ったけれど、
エッグサンドはフィリングがゆるく、トーストはカリッと焼いているほうが美味しいから、
体裁よりも実を取ったのだ。
店主は慕わらるほど、どこか、きついことがあるだろう。
そんな店主に、辛く当たられた妻は、きつかったかもしれないが、
どこか嬉しくはなかったか。
それは当事者じゃなくちゃわからないことだけど。
「ちょっと前にね。
逝ってからね、初めて夢に出たんだよね。
あいつね。
そしたらね、ありがとって、言うんだよね。
おとうさん、ありがとねって。
なんでもっとね。
もっと優しくしなかったんだろって、ほんとにさ」
店主の優しさに触れたくてヒトが集まっている。
こういう店もあるのだ。
いや、こういうのが喫茶店なのだ。
自分は、はい。
まったく、足元にも及びません。