○マメヒコ宇田川町店(夜)
四人がけのテーブルに中年男45、ヨッチンが一人いる。ストローの袋で遊んでいる。そこに、トッポイ感じの女の子が話しかけてくる。その子、ロングヘアーのトッポ32。スーツ姿でヒールを履き、黒い革のショルダーバックを重そうにぶら下げている。
トッポ「あっ、ヨッチンさん。そうだ、ちょっといまお時間よろしいですか?」
ヨッチン「うん、べつにいいよ」
トッポ「あっ、なんか食べてもいいですかー。ここなにがオススメー?」
ヨッチン「あっ、うん。あっ、ヨモギ白玉クロカンがオススメってさっき店員(言ってたよ)」
トッポ「はーい、じゃあそれで」
店員来る。注文終える。
トッポ「あの、ヨッチンさんて、お店、経営されてますよね」
ヨッチン「うん、まぁ。経営って言うほどのこともないけど」
トッポ「あのう、就業規則ってどうしてますか?やっぱり雛形をベースに、必要な箇所をテキトーに直すって形ですか。それとも社労士さんにきちんとお願いしてっていう?」
ヨッチン「お店を始めたころはね、規則なんかなかったよ。とくにそんな規則なんか決めなくたって、困りゃしないもの」
トッポ「なるほど。そうですか。うん、そうか」
ヨッチン「ボクとあなたとお友達くらいの会社なら規則なんかいらないでしょ。ボクたちは規則のなくても成り立つというのが信頼の証だったりもするしね。ところがさ。ところがですよ。時が経ってヒトが増えてくると、困る事が起きる」
トッポ「たとえば困ることって?」
ヨッチン「たとえば。んー、遅刻するスタッフが出てくるわね。これはほっとくとパンに白カビが生えるのとおんなじ。最初は、ちょぴっと遅刻するの、大々的じゃなくて、ちょぴっとね。カビとおんなじ。最初のうちは、まぁ、シカタナイ。イイヨイイヨ。と片付けちゃうわけね」
トッポ「パンのカビですか。ふーん」
ヨッチン「最初は、ごっめーん、とか言うよね。ちょっと寝坊しました。これから気をつけます。みたいな。だけどね、そのうち、遅れるのが常習化する。そして、ついには、あやまんなくなる。そしてそのうち、眠い中、来てやったけどなにかみたいな顔をする」
トッポ「もうパンはカビだらけって感じですよね。なんで悪気ない顔するんですかね?」
ヨッチン「ヒトはどんな顔して生きてるのか、本人にはわからない設計になってるからね。でも他人はそのふてぶてしい顔や態度を詳細にインプットしている。それで間もなく、コップに溜まった水は溢れ出す。そして期待はまたたく間に憎悪に変わるわけね」
トッポ「憎悪?」
ヨッチン「ヒトが憎悪を抱いてるかは目を見ればすぐわかるわね。目の玉の奥が光らないから。そして、たとえばここなら、みんなボクに言ってくるのよ」
トッポ「なんて?」
ヨッチン「えっ?『最初は大目に見てやったけど、こう何遍も遅刻されたらたまったもんじゃないよ』って」
トッポ「うんうん、言いたくなります」
ヨッチン「『そもそもあのヒトさ、ワタシんちより、二駅も近いんだよ。二駅も近いあいつがいつも遅刻して、なんでワタシはいつも早く来てんのよ。ていうか、どうせ遅刻するだろうって思ってるからずっと早く来てるし、ありえないんだけど」
トッポ「二駅も近いとか、小さいことが気になるんですね」
ヨッチン「なるでしょふつう。憎悪が湧くと世界は途端に狭くなる。毎朝、遅刻するやつの最寄り駅を通過するわけだから、そのたびに小さな憎悪は対数関数的に増幅するわけ。そんで憎悪を抱いた人間が集まるとだな、だいたい、最後は決まってこうなる」
トッポ「なんですか」
ヨッチン「あのヒトは、ワタシを困らせようとして、わざと遅刻してるんじゃないか」
トッポ「えぇ、被害妄想ですよ」
ヨッチン「ワタシを困らせようとしている。つまりは敵ね、敵よとなる」
トッポ「敵って?はなしが飛躍してませんか?」
ヨッチン「そうだ。飛躍するんだ。話しというのは飛躍してこそ面白い。敵と思い込んだほうが話しはシンプルだ。シンプルな話しは電光石火のごとく伝播する。時待たずして、正当防衛という理屈が頭に湧き、向こうがそのつもりなら、ワタシたちも報復すると」
トッポ「こわい。ちょっと話についていけなくなってます(笑)」
程なくして、ヨモギ白玉クロカンが来る。
トッポ、いただきますも言わず、黒豆を口いっぱいに頬張ると、シロップも流し込むように口に。
一粒豆がこぼれて赤いジュータンに落ちる。
いっけない、ニカッとトッポ笑う。口に残っている黒豆が見える。
イカヨシ、見たくないものを見てしまったという感じで、下を向いて凍頂烏龍茶を茶杯でちびちび飲む。
ヨッチン「こちらからは攻撃しないけど、向こうが攻撃してくるなら、こちらも自衛するのやむを得ない。正義というイデオロギーのもとに、正当で避難されない報復手段を考える。それがルールだ」
トッポ「とっちめてやるために、ルールはできるってこと?ちょっとそれはどうかな」
ヨッチン「ルール作りのために普遍化しなくてはいけないけど、みんなの頭にあるのはあいつのふてぶてしい覇気のない顔だ。それでまず、遅刻三回で減給にしようと決める」
トッポ「まぁ、三回でペナルティはやむを得ない感じですね」
ヨッチン「そのやむを得ないという気持ちを持たせることが、戦争の始まりだ」
トッポ「えっ。また飛躍」
ヨッチン「人間なんてのは、古今東西変、そんなに変わりゃしないんだよ。男と女がいて。恋して愛して。生きる上での損得勘定だったり、憎悪や嫉妬の感情があったり。感情なんてそもそも喜怒哀楽の4つしかないんだから」
トッポ「それは大雑把に分ければね」
ヨッチン「感情に任せてルールを作るわけだから、結局のところ似通ってくるもんだよ」
トッポ「ちょっ、ちょっと。話しが乱暴ですよ」
ヨッチン「でね。ここからなんだけど」
店内はいつの間にか、誰もいなくなり、カール・リヒターの マタイの受難曲が静かに流れている。
ヨッチン「そもそも会社を始めようなんて連中はだな、既存のルールが窮屈だと思ってるから、会社を始めたわけでしょ」
トッポ「(声を限りなくひそめて)そういうヒトばかりとは限らないでしょうけど。わたしはそうですね。そう言われてみれば」
ヨッチン「異端者が新しいことを始めるのは必然の理だ。迫害者となるか、創始者となるかでは、天と地だからね。ところがだ」
トッポは店内に二人きりになっているので、まわりを気にしている。
ヨッチン「『自由を求めて飛び出したつもりなのに、いつの間にか、かつて自分を苦しめた規則を作る側に立っている。寛大なルールではさばけない、例外を認めない狭小なルールも作らなくてはいけなくなる。すると、自分の糸に絡まって身動きが取れなくなった蜘蛛みたいな気分に陥ってしまうす。すると自分の組織そのものに嫌気が差してしまう」
トッポ「なるほど。ジレンマはありますね」
ヨッチン「それで、ここから二手に分かれるというのがボクの研究なんだけど。ルールというのは劇薬だから、その副作用が気になり、ルールづくりは控えようという自然派人間」
トッポ「薬断ちしようとする人間のことですか?」
ヨッチン「そう。薬に対する嫌悪感があるから極力使わないように努める。薬を使わなくてもいい人間とだけ組織を作るようになる。究極的には自分ひとりでやるようになる。一方で薬が効かないのならもっと強い薬を、新しいルールをどしどし作って管理すればいいという人間に分かれる」
トッポ「副作用が出たら、その副作用を抑える薬を処方するっていうヒトですね。それは良くない気がする。そんなことしたら、さっきの話じゃないけど、結局、ルールを作った自分自身ががんじがらめになってしまうでしょ」
ヨッチン「いや、そうとも限らない。ルールをどしどし作ろうとする人間は、聖人君主なんかじゃない。もっと言えば、自分がルールを守ろうなんて、端から考えてない。自分はルールを作る側であって、守る相手とはべつだと思ってるから作れる。医者は自分が飲まないから大量に薬を処方できるのとおんなじだ。自分だけ抜け道があるようルールを設計する小賢しいタイプの人間じゃなきゃできない」
トッポ「なるほど、ヨッチンさんはもちろん」
ヨッチン「そのとおり。ボクは賢くないからね。ルールづくりは極力したくない人間だった」
トッポ「だった、というのは、いまは違うってこと?薬は必要だと思う派なんですか?」
ヨッチン「どんな小さい組織でも組織にはルールは必要だと思ってる」
トッポ「へぇ、意外」
ヨッチン「いまボクは、規則に、良いも悪いもないと思ってる」
トッポ「悪いルールってありますよ。何言ってるんですか?」
ヨッチン「悪いルールというのはあるが、そんなのはほっとけばいい。悪いルールは続かない。ボクらの店ではほどなくして、中庸なルールに置き換えられるもんだ」
トッポ「そう信じていんですか?」
ヨッチン「ボクらのこんな小さなお店ではそれで問題ない。ルールは必要ならどんどん作ればいい。その中身は基本的には細かいことは気にしない」
トッポ「はぁ」
ヨッチン「そんなことより、大事なことがある。ボクは自分の人生を面白おかしく生きようと決めている。面白おかしく生きるために、生きているんだ。そのためにはルールは必要だ。そのルールの中身は、作るのが人間である以上、古今東西それほど大差ないと思ってる。ボクらが作るルールブックもやがて、形骸化した学校の校則と左程変わらなくなるはずだ。ただし、ボクラが作るルールブックは自分たちで作成でき、修正できる。それは大きな違いだ。そういう組織に属していることは、ボクにとってなにより大事だ」
トッポ「はい」
ヨッチン「そういう点で、大きすぎる組織、古すぎる組織とは付き合わない」
トッポ「そう決めてるんですか?」
ヨッチン「うん、そう決めちゃった」
トッポ「はぁ。すごいですね」
ヨッチン「ボクはハタケをやってるじゃない。ハタケを起こして、堆肥を入れて、ならして、豆を蒔いて、水をやって、発芽して、鳩を追い払って、雑草を抜いて、さらに雑草を抜いて、育った豆は房ごと干して、さらにさやから出して、唐箕をかけて。さらに選別する。それを水で一晩戻して、シロップで三日三晩煮て、お皿に盛り付ける。そうすると、自然といただきますって感じになるわけね。でもそういうことを経験しなけりゃ、『いただきます』って言えないんだよ」
そこに店員が来る。
店員「あのう、すいません。22:00で閉店となっております。もう30分も過ぎています。お会計、よろしいでしょうか」
あっ、うん、とヨッチンが財布から1万円札を出す。
店員「ありがとうございました(と去る)」
○店外
ヨッチンとトッポ。
トッポ「就業規則はどうしてますか、って聞きたかっただけです。良い社労士サン知ってるかなと思って。自分で調べてみます。お時間すいませんでした」
ヨッチン「お役に立てずにすいません」
トッポ「ごちそうさま」
と踵を返す。
ナレーション「こういう話をしたあとは、なんか胸くそ悪い気分になる。なんでこんなにも胸くそ悪くなってしまうのかわからない」
○夜の公園で
つぶつぶジュースをベンチで飲んでいるトッポ。
ナレーション「なんであんな話を、通りすがりの女の子に調子に乗ってしてしまったんだ。彼女も気の毒に、きっと、いまごろ胸糞悪いだろう」
○家・トイレ
ヨッチン、おしっこをしている。
ナレーション「こんな日は、たいていなにをやっても憂鬱になるなので、早めにおしっこをして寝るに限る」
おしっこが、便器に注がれてゆく。
ナレーション「あぁ、哀れな男のおしっこよ。すべて忘れて大海原へと流れおくれ」
○夜の海(羽田あたり)
月夜に照らされた海。霧笛が鳴る。
つづく。