わたくし「裸足の金星」という小説をただいま書いておりまして、
まぁ書いては直し、直しては書いてを繰り返しながら、
心では泣いております。
なんで上手く書けないんだろうという情けない思いと、
ところでなんでわたくし、必死に小説を書いているんだろうという、
己の運命に対する懐疑心と。
それでも書いた小説に感想が届くと、とても嬉しいんですね。
嬉しかったお便りを、少し自慢げに、
子供がカブトムシを採ったときのような気持ちでご紹介します。
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井川さん、裸足の金星の感想です。
先日のここ何、お時間頂戴したのに、
あの場では実は読み終われませんでした。
井川さんが魂を込めた作品を、
まるで最後まで読んだかの如く、
あの場でそれらしく話すようなことは、
僕はしたくありませんでしたので、
改めて読みかえしてお便りを書いています。
改めて読んでみて感じたのは、
やはり井川さんの作品は、
それは小説に限らずラジオやゲーテもそうなのですが、
最後まで味わわないとどうなるか分からないところがあります。
そして付け加えるなら、
時間をかけて味わうほどに何かが残るということです。
僕が印象に残ったシーンは、
最後の瞬と優希のところです。
わたしはね、生きたいんです。
無理をして、アルプス山脈を越える生き方をしたかったんです。
あんなにいろんなことを瞬さんに教えてもらったのに、
それがちっともできない。一人じゃ何にもできない。
生きている平坦な道すらままならなくて、そのことがとても哀しいんです」
「なんとかしようとしてるんじゃないのか?」
瞬は子供をなだめるように、優希の前で膝を折りました。
優希の目は涙がいまにも零れそうでした。
「瞬さんから逃げたこと、なんと謝っていいかわからなかったんです」
瞬はじっと黙っていました。
ここの会話や流れはとても美しく、
「なんとかしようとしてるんじゃないのか?」の台詞は
今まで自分の人生を、自分の力でなんとかしてきた人にしか
発言できない台詞のような気がして、
僕はこの台詞に一番井川さんを感じました。
井川さんの今までの作品を読んできて、
エッセンスとして僕が好きなところが二つあります。
ひとつは人の業に肯定的でありながら、
それほど強い期待を持たないバランス感覚。
人というのは大したことはないけれど、
かといって捨てたものじゃない。
そういう距離感とあたたかさが、
僕は心地よく感じています。
そしてもう1つは、
人は大切だと思い合える人が、一人でもいれば、
誰か一人に心の底から愛してもらえたら、愛せたなら、
人生を歩いていけるし、そしてその世界は決して悪くない。
そう感じている悩める主人公を認める登場人物が身近にいるところです。
それはまるで、井川さんそのもののようであり、
そしてそれが井川さんのメッセージのようにも感じます。
そういう存在との出会いを大切にしなさい、
そしてあなたも誰かのそういう存在としろ、と。
永遠のようで一瞬、
一瞬のようで永遠、
そういう儚さ、
小さなことの積み重ねと結びつき。
無様で真剣で、
美しくて、温かくて。
なにもかもが無常で、
救いがあり、救いがない。
無常を受け入れることが不変だという井川さんの物語。
次回の直しを、
今からその作品が読める日が来ることを楽しみにしています。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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このお便りに書いていただいたように、
ボクが創る作品は、
それはカフエ マメヒコであれ、WEBラジオであれ、
ゲーテであれヨシノであれ、
もしくはハタケで豆を蒔くことであれ、
スタッフに文句言ってるときでさえ。
一貫した哲学があります。
ある哲学を強く意図して行動してきたというより、
思い返せば、いつの間にかそうなっていきたという感じだから、
声高には言ってきませんでしたが、
こうして読者の方から指摘されたなら白状するしかありません。
「それでも、今日を楽しく生きていく」
これは、ボク自身が今までの人生を通して、
もちろんその多くはカフエ マメヒコの目まぐるしい変化と経験を通じて、
体得してきた、ボクの哲学なのです。
エトワール・ヨシノをやっていてもそうです。
歌に込めたメッセージもありますが、
何者でもないボクそのものが、
エトワール・ヨシノというおばさんの格好をして、
歌を歌い切るというそのことが、
ボクが生きていることの意味なのです。
笑われようが、煙たがられようが、
呆れられようが、嫌われようが、
小さな茨をフンで歩いてやる、という思いがいつもあるんですね。
ボク自身は、いつもボク自身を冷ややかに見ています。
ただの一度も、どうだすごいだろ、
という思いを持つことはないわけね。
どこか肩すくめて、ため息着きながら、
「それでも、今日を楽しく生きていく」という哲学でやってきたのね。
そして、これからもそうしていきたいと思うわけです。
売れる哲学とか、成功者の哲学とか、そういうことではないんですね。
誰だっていろいろありますね。
才能や、運や、お金に恵まれてるヒトも恵まれてないヒトも、
今日を生きていくしか無いんでね。
それでも、
今日を、
楽しくユーモアを持って、
生きようよ、
としか、言いようないんだよなという、
ため息混じりの哲学なのです。
小説、裸足の金星、第4稿