三軒茶屋から渋谷までの僅かな距離を半日かけて歩きながら思ったことは、ゆっくり歩くということは、とても楽しいということですね。ゆっくり歩くと、なにげない万物に、小さな人生を発見するんです。
坂道を昇ったり下りたり。細い裏道を通ったり、幹線道路を駆け足で抜けたり。なんのことはない道を、ただ自分の足だけを使って歩くんですよ。ね。何も目的もない散歩ですから、なにかないかしらとキョロキョロしながら歩く。
普段何気なく生きていれば、そうそう面白いことなんて無いと思うでしょ。それがそうでもないんですよ。住宅地の高低差のあるところに、神社がある。なんてことはない神社です。小さな鳥居を抜けて境内に入ってみると、「ここは、うさぎの神社です」なんて書いてある。
「ふーん、うさぎ?」なんて思って入っていきますとね、うさぎが境内で飼われていたりする。へー、こんなとこにうさぎ飼ってるんだー、それだけでね、ちょっとおもしろくなってるんですけど、本堂をのぞくとびっくり仰天。ビニールのうさぎがどんと祀っているんですね。ビニールの、ピンクの、安っぽいうさぎがね。ご丁寧に、電動じかけで上下に動いたりする。
どうしてこんなことことをね、誰が思いついたんだろうと思いますね。どうやって買いに行ったんだろう。誰も止めなかったのかしらとかね。人間て面白いなと思います。そういうことを思いついて、行動するヒトがいて、それを苦笑しながらも認めてるヒトがいる。もうね、そういうことが面白いですわね。
猫が日当たりの良い公園で、忍び足で歩いている。これはなにか獲物を狙っているに違いない。もうほんとに、そっとそっと歩いてるんです。見てるこちらまで、その緊張感が伝わりますよ。でね。暇ですから、固唾を呑んで見守りますね。狙ってる獲物は、スズメかしら、トカゲかしら。じっと一点を凝視してる猫の目線の先をボクも探しますけど、なにもないんですね。通りすがりのオートバイがエンジンを止めて、ボクたちと一緒に猫の挙動を見守っている。でもね。なにも捕まえる素振りもないんですね。
静かに猫は公園の隣の空き地に静かに入っていく。なーんだ、何も起きないじゃないか。なーんだ。なーんだ。肩透かしを食らった気でその場を過ぎますと、突然ギャーオと鳴き声がする。どうした、どうした、慌てて引き返してみると、空き地には別な猫がどすんと草薮に座ってるんですね。そしてたがいに睨み合って、鳴き合戦を始めてる。ああ、そうか、公園と空き地の間には、ボクラには見えなかった世界の境界線があったんだなと。そうか、そうかと。大袈裟ですけど、二つの異世界をまたぐときは、忍び足で渡るんだなと。二匹の猫の人生(猫生か?)を垣間見て、うーんとなるんですね。
小さいことほどね、一生懸命に見ていると、面白い世界というのはありますよ。目的のない静かな散歩をするとね、自分と知らない世界の境界線を渡っているので、ボクは好きなんです。