純粋に思ってることについて

ニューヨークに住んでいた頃、たくさんのカフェに通ってました。
向こうのカフェはとても自由でした。

フライドポテトやマッシュポテトが、
お皿にザクッと盛られてくる。
皿からはみ出ててもいい、収まっててもいい、
数本は外に飛び出してて、それでウィンク。
いいなぁと思いました。

それで帰国してから、マメヒコも自由にやりたかったんです。
だけどスタッフにそれを言っても全然できないの。

うちの子たちはすぐ、「どうしたらいんですか」って聞いてくる。

「ザクッていう盛り付けは、2,3本ポテトを皿の外に飛び出すように盛り付けろってことですね?」と確認してくる。

自分の立っている場所の正解をすぐ聞こうとするんだよ。
なんでこの人達、自分で考えないんだろうって思ったのね。

それは世界を知らないからじゃないかとか思って、
スタッフを研修と称してニューヨークに行かせたり、店休んで研修みたいなこと随分したんです。

だけどちっとも変わらなかったのね。
それでボクのほうが途方に暮れてしまって。
これは日本人の特性、真面目な気質なんだ。
きめ細かいマニュアルを作ってやらせよう、
一時はそんな風にも思ったんですよ。

ところが、それからです。

続々とメンタルが壊れたって話が出てきた。
頭がボーッとして、何も考えられない、
真っ白になってパニックになる。
お店に来られない。

こういうことが、しょっちゅう出てくる。
一人や二人じゃない。
お客さんに聞いても、今の若い子多いですよ。
なんていう。
若い子だけじゃないですよ、三十代も四十代もありますよ、
鬱流行りですね、なんて言ったりする。

あぁ。
これは間違った教育、いやな言い方をすれば洗脳教育を受けてきたからなんだ、やっぱり今の世の中は狂ってるんだ、ボクはそう確信したんですね。

世の中にはひとつの正解があり、
人間はそれにただ従うべきなんだ。
それは間違った洗脳です。

それを信じているヒトがこんなにもいるんだということに気づいたときは愕然としました。
なんとかしなくてはいけないと思った。
何もできる気がしなかったけど、なんとかしなくてはいけない。
それで今日に至っているんです。

優しくていいヒトたちですから、
こうしてねって言ったらちゃんとやってくれます。
ほんとに一生懸命やってくれますよ。
だけど、それは最初はいいけど、
いつかメンタルがやられます。必ずやられます。

そうなったら自責の念です。
きついきつい自責の日々です。
恨んだり、悪態ついても、結局自分に戻ってきちゃう。

もちろん自己責任かもしれないよ。
だけど、見てられませんよ、かわいそうだもの。
泣いて泣いて、そのうち泣くことさえ忘れてしまう。

自分では、良かれと思って、一生懸命、
親や先生、社会、世間の目に従って、
とにかくお金が全てだと教えられて。
それは間違った洗脳教育だと知るんです。

なんとかしたくても何もできない。
自分一人では何も考えられず、
何ひとつできず途方に暮れている。
変わろうと思おうとすることさえも、罪悪感があって動けない。

アラ。そんなヒトなんていないわよ。
それは井川さん、あなたの穿った見方で、
若い子はみんな、それなりに楽しそうにやってるわよ。
うちの子はそんなんじゃないわよ。

はいはいそうでございますか。
そうおっしゃるなら、どうぞどうぞ。
ボクのことなんて気にせず、あちらでお茶でも飲んでいてくだされ。

ボクの誤解かもしれませんが、
悟られまいとキツイ思いしてるヒトがいっぱいいますよ。
なかにはボクに助けてと言いに来るヒトもいるし、
なにも言いに来ないヒトもいるけど。

ボクとしては、どうしてあげることもできないですけどね。
でもやっぱり、ほっとくわけにはいかないです。
口だけじやなくてね、
具体的になにか、こんなとこあったらいいなっていう場所を、
作りたいとずっと思ってます。

ほんとに、純粋にそう思っているんです。

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