フーフーするヒトについて

「やるヒト」はもちろん才能がいりますね、責任も伴うし、勇気も根性もいる。

だけど「やらせるヒト」っていうのが近くにいるかが
すごく大事なんだよなって思います。

焚き火なら、「酸素をフーフーと送り込むヒト」っていうのかなー。

結果として、焚き火の温かさや強さ、明るさが評価されるんだけど、
やっぱりずっとね、「フーフーとしてくれるヒト」がいなければ、
火は消えてしまいますね。

薪があっても、フーフーが必要なんですよね。

世の中がですよ、出る杭に冷水をかけてばかりの社会なら、
なおさら「フーフーするヒト」が必要ですね。

「酸素を与えなくては燃えないなんて、甘やかしてしまいます」
っていうのはよく聞くことだけど、
だったら聞くけど、
「酸素がなくても燃え続けるのが、本物の火なんです」って
非科学的な根性論だとボクは思います。

けどその、「フーフーとし続ける」っていうのはそれはまた、
飛んでもない才能なのかもね。
簡単なことじゃないよね。
見様見まねでできることでもない気がします。

なんかそんなことを思ったのね。

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