ボクはよく法の内側と外側というはなしをします。
「法が範疇とするのは、
よっぽどひどい行動への戒め、その程度にすべきなんであって、
少なからず法に占める、誰が決めたわからないくだらないルールを、
いちいち守る必要なんか無いんだよ。
仮に律儀に守ったとしても、それゆえ幸せになれた、
なんてことないと思うのよ。
ましてやだな。
あーするな、こーするなと、
ヒトの生活をがんじがらめにさせたり、
伸び伸びとした爽やかな気持ちに対し、
冷水をかけたりするのは、けしからん。
ボクはそんなものに関わるのはまっぴらごめんだし、
そうしようと企む奴らに対しては真っ向から反対するつもりだよ」
なーんてことをね。
弁護士のMさんとしていたら、
Mさん苦笑して、こんなことをボクにおっしゃいました。
「フフフ。井川さん、あのねぇ。
井川さん、法律に対してね、
勘違いされてますけど、法とはつまるところね。
フフ、情理なんです。
人情そして、道理なのよね。
だからですね。ワタシたち弁護士は、
まず人情で考えてみる。
そして、道理で考えてみる。
杓子定規に、法律を捉えるんじゃなくて、
たとえ紙にこう書いてあると言っても、
人情や道理で考えて、それはおかしんじゃないの?
ってことがあれば、配慮しましょう。
相談しましょう。
そういう考えのもとに法は定めてあるんですよ」
これを聞いて、はーって顔が赤くなったのね。
またしてもボクは無知だったな。
クー、バカ。
たとえば契約書を結んだら、
何が何でもそうしなくちゃいけないと思ってた。
情状酌量の余地があるなら、事情を配慮するのが社会。
そんなあたり前のことも考えずにいたのね。
神様、ボクはバカです。
世の中の法律は厳しすぎるんだよ、
となにもかも目の敵にしてみたり。
そんなくだらないルールなんか従わないぞと鼻膨らませてみたり。
神様、ボクは無知であり、無恥なわけで。
弁護士のMさんが続けます。
「ワタシは民事専門の弁護士なんですけどね。
事件を担当すると、
なんていうか加害者の気持ちも、被害者の気持ちも、
どっちの気持ちもわかるって思っちゃうのね。
どちらもヒトですからね。
なんだかんだ言って気持ちで生きてる。
両方を見て、気持ちがどこに着地するか。
弁護士とはそれを考える仕事なんじゃないかと思いますのね。
最近担当した離婚裁判でのことなんですけどね、、、、」
なんとも人間とは厄介です。
感情は生い立ちの中で何層にも重なり、断層になっていたりもする。
寂しいくせに突っ張ったり、
好きなくせにののしったり。
人間が共同で暮らす以上、法は必要です。
でもどんなヒトであれ、自分に尊厳を持てて、
楽しくて穏やかに生きていけたなら、
それは幸せな人生だと感じるものではないですか。
自分は幸せには程遠いわと感じるヒトもいるでしょう。
息苦しいと感じるかもしれないね。
法律はあなたの心までは追ってこないですよ。
小さなところに目を向けて、
身の丈の幸せを見つけて、生きてほしいと切に思います。