強い孤独感があっても、それを救うべき信仰や共同体と言った受け皿がないことが大きな問題である、とレプケは指摘しているよ。
とくにこの数世紀以来、神なしで済ませてしまった。
国家すらも神から離れてしまっている。
それこそが、現代の社会危機を引き起こしてしまっているんだと。
よって神なしの状態では孤独者は永遠に救えない。
だからレプケが提唱する「ヒューマニズム経済」における中心は
宗教、信仰心なんだよ。
しかし、現代ではそうなってないね。
その代わりに、社会保障制度を充実しろと言っている。
しかしそれでは真の意味で孤独者を救うことはできない、
とレプケは指摘している。
【社会保障制度への批判】
「財産を持たない大衆は、生活の安定を国家に求め、社会保障を要求する特徴がある。このような要求心理も全体主義や福祉国家を登場させる背景となっている」と。
レプケは国家による社会保障制度に対して厳しく批判している。
なぜかというとね。
国家の扶助・給付・保障政策は国民の税負担や国家の財政負担を重くするから。
社会官僚を強大にさせることになり、
プロレタリア化・大衆化を助長することになるから。
福祉の充実により、人々は自律しなくなり、大衆化、プロレタリア化を根本的に克服しないから。
むしろ国家への依存傾向をますます強め、
プロレタリア化を進めてしまうことは自明の理。
ただし、個人の自助および自己責任と両立するものであれば構わない、
とレプケは考えている。
こうしてプロレタリア化は、何も良いことがない。
そうなってしまったのには、企業が大きくなりすぎたこと、つまり集中し、独占状態になったことが原因であるとレプケは指摘している。
【ドイツ経済の集中化・独占化】
なぜ集中化するのか。その原因はなんなのかを考えてみる。
「レッセ・フェールのパラドックス」という言葉がある。
どういうことかと言うとね、
「拘束なしの自由は最悪の不自由をもたらす」という逆説が成り立つ。
ドイツは19世紀に放任政策をした。
その結果、独占支配を招いてしまったんだ。
結局、この問題の解決は政府の手に委ねられ、
政府も場当たり的な干渉政策をした。
そうして市場の自由は大幅に制限されてしまった。
まさに「拘束なしの自由は最悪の不自由をもたらす」だね。
最終的に国家による経済支配が続いた。
公的なものに集中を招き、
集中化した経済では個人の自由や尊厳というが侵されてしまった。
そしてそれにより、ナチスの集産主義を登場させる要因となったんだよ。
【 全体主義・共産主義、そして独裁主義へ】
孤独な大衆は、神無き近代イデオロギーに洗脳され、
全体主義を礼賛するようになった。
たとえば極端な個人主義は、羊の群れに似た精神を産んだ。
どういうことか?
ほんとうの意味で守ってくれるヒトがいない。
そういう共同体が崩れているからね。だから人々は勇敢に振る舞おうとしても、確固たる信念の足場が崩れ去っているから臆病になってしまうんだ。
大衆化とプロレタリア化は最終的に全体主義を登場させた。
そしヒットラー(国民社会主義のドイツ)、
ムッソリーニ(民族主義のイタリア)、
スターリン(共産主義のソ連)と
のちにファシズムで名を馳せる人々が相次いで登場する。
これらの人々はどれも大衆に人気を得た人物だったんだよ。