幕開けについて

コロナの影響で、様々な職場で大変なことになっていて、
あちこちで不満が増えてると、最近よく聞きます。

そういうとことは縁なく生きているので、直接困りませんが、心中お察ししますという感じです。

不満が出ても、その不満を解消するすべがないそうです。
世の中全体がシステムで動いているので、根本的なシステム不具合で打つ手がないんでしょう。

結果として、理不尽なスパイラルになってる。

学校も、子供たちの話を聞くと、
ひどい管理教育になってしまっていると。

こんなんでは、教える方も教えられる方もたまったもんじゃないでしょうね。

そんな学校、とっとと辞めちゃえよ、とボクは思います。
人生は捨てないと新しいことは入ってこないのは自明の理です。
二股かけて、いいとこ取りしようとして、
中途半端、手遅れ時既に遅し、
というヒトを、残念ながらたくさん知ってます。

「世の中とは暗く冷たいものだ、
その苦しみにみんな耐えてる、
みんな競争して勝ち負けを競ってる、
だから出し抜いてでもいいから、
勝つことで喜びを手に入れるべき」。

それが正解だと信じちゃってるヒトが大半なんでしょうけど。
それってきりがないですよ。
結局、いつかは戦い敗れて孤立し、
どこか(それは時に誰か、時に自分)に恨みを抱くことになる。

若い子で、毎月決まったお給料は入ってくるけれど、
心のなかはとても暗く、荒んでしまっているヒトたちをみると、
やるせなくなります。
生活も仕事も、健康な人生を送れていない。
そういうところに閉じ込められてしまっているのは気の毒です。
だから、一度は声をかけます。

誰と仕事をするのか。
どんな雰囲気の中で暮らすのかが、
結局の所、非常に大事じゃないの、とボクはいいます。

生き物が活性化するには、明るくて温かい環境が必要ですからね。
それが一番元気が出る。
パンの発酵も同じです。
これは動物としての本能、いや植物や菌もそうなんですから、
生き物としての性分なんだよ、とボクはいいます。

もし冷たくて暗いのがいいなら、
人間は海底や地中に帝国をつくったはずだよ、
とボクはいいます。

だけど、アドバイスしてて、
「限界あるよなー」って思っちゃう。

強く言うとハラスメントってなっちゃうでしょ、いまは。
干渉しないほうがいい、ヒトはヒトなんだからって。
本人も「あっ、ダイジョブです」って、すぐ言うしね。

だったらめんどくさいから、
「あっそう、ではどうぞご自由に」ってボクはほっときます。

でもこれって怖いことだなと思う。
結局、上に持ち上げてくれるヒトがいないわけですよね。
若い子なら育ててくれるヒトがいない。
自分自身が明るく積極的に変われないと、
今の時代は難しいってことになってる。

でも、自分で自分を明るく成長させるなんて、
簡単にできるんでしょうか、、、、。

自分が暗くて冷たいままだと、
最初は付き合ってくれても、
温かく明るい人達は、いつの間にか避けますね。

冷たさというのは、影響を受けるからです。

結果的に、自分の周りはどこか暗くて冷たいヒトたちに囲まれてしまうことになります。
そして暗く冷たいヒトは狭い世界に閉じ込められて、
にっちもさっちも行かなくなり、ますます防衛して意固地になる。
そうして居場所がはっきりと分かれてしまうのは、
とても怖いことだとボクは思ってるんです。

というのも、レプケが言うように恨みをもったアトムは束ねやすく、ファシズムを生みやすくなる。

でも、世の中はそれでいいということになっているので、どうしようもありません。

冷たく暗いところから、明るいところに向かうには、気づくことです。
はっとすることです。
そしてふと気づかないうちに、
新しく明るく温かい人間へと通じる道が見えた。
そうなれば、新しい人生の幕開けです。

それは信じて歩いたほうが言い。

ボクは目についたヒトにだけ、こそこそと声をかけています。
表立ってはやりません、やってもプイとされたらほっときます。

「幕開けとは大げさなものではなく、
自分の中の小さな気づき、その連続なのだよ」と、
若い子たちにこそこそと声をかけているのです。

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