ノッテビアンカ

ノッテビアンカ

「ノッテビアンカ」は、プロットも書かず、登場人物だけを決めたら、あとはその場しのぎで脚本を書いて、半分ドキュメンタリーのような手法で撮っている。全8話で、特に何があったということもなくドラマは終わるけど、撮影期間のおよそ1年近く、そこに映っている人たち、どこに行くかもわからないものに付き合った人たちの在りようがすごく大きく変化している。
変わってないと思うところもあるけど「確実に変わっているな、それも良く変わっているな」というのはボクらの中にある。これは、なんかすごくスピリチュアルなものを感じるんだよね。目に見えない力があって、その力に、のっているヒト・のり切れなかったヒト・のらなかったヒトは、ボクだけじゃなくて、見ているヒトたちに割と共通して感じられるところがある。
「ノッテビアンカ」を作って何になるんですかって言うけど、何にもならないよ。製作費も「誰か」が出している。濃淡はあれど多くの人を巻き込んで作ったから、人間は何でもかんでも損得だけで動くわけではない、というひとつの証明になる気がするね。なんとなくその時の出会いとご縁と、自分なりの面白さや、関わって楽しいという、何かしらがあるから参加してるんだろうし、それが映っています。
そして、アクリル板があるとか、ボクらの後ろに歩いている人たちはみんな普通にマスクしているとか、2021・2022年の時代のいびつさも映っている。渦中に生きているヒトには伝わりにくいことも、2025年に生きているヒトには伝わることがあるかもしれない。映像というのは舞台と違って、後から別な意味を持ってくるというのかな、生のライブが時間がたってビンテージになった時にモノとしてなにか意味を持つと思う。
未来の誰かが、今のボクと話を出来ることが、「ノッテビアンカ」を作っていて楽しみなことのひとつ。ボクらが作っているものに触れて、何らかの形で想いが誰かに伝播するといいな、と思います。

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