干渉するけど監視しない(MAMEHICOで大切にしている10のこと⑦)
干渉するけど監視しないということをボクらは非常に大切にしてやっています。 今の学校教育、戦後の日本の流れからすると、ヒトに監視されたくないから干渉しないというヒト。ヒトと関わる事が相手を監視するというトラウマがあるからヒトと関わらないというヒトが多い。 だけど、ボクらはヒトと関わらなければ何かをなすことは出来ないし、ヒトと関わることで初めて何かをなしえるわけで。その時に、どこをどういう形で干渉、監視とするのか? 実際は愛情があるかどうかに尽きるとボクは思うんだよね。 ヒトと関わるということはヒトの領域に入っていくという事。 ヒトに踏み込むという事は、そのヒトに興味があるという事だし、踏みこませるのも相手に対して受け入れる気持ちがある。だからお互いに愛情なくしては成立しない。 どちらにせよ、相手を許す寛容な気持ちがなければ他人と関わることは出来ない。 他人に寛容であるためには多くの事を経験し、その人の中にある本質的なものを見抜かなければならない。 本質を見て、枝葉末節なところについては大方目をつぶるという所が必要だからね。 ヒトに干渉したがらないヒトが多い中で、ボクらはおせっかいをするし、干渉していこう、とにかくヒトと関わっていこうと思ってる。 ただ、ヒトと関わるという事は相手から拒絶される事もあるわけで、傷つく事もある。 違う人間同士、本質的な所が合ってなければ小さな事が気になってなかなか相容れない。 だから、相手の本質とこっちの本質をすり合わせる時間はどうしても必要だよね。 そのヒトが持っている素地というのをお互いにさらけ出さなければ付き合う事は出来ないと思う。そのためには、互いに干渉する、関わっていくというのは必要でしょ? ボクの周りに参加しているようなヒト達は、ご飯を炊く、みそ汁の出汁をとる、など、日々の生活を大事にしている。そういう事が自分らしく生きていく上では一番大事。 日々の生活を大事にして自分らしく生きていくことを体現するために、みんなでコミュニケーションをとるんだけど、その際に、他人と関わるときには干渉するけど監視しないというボクらの組織マインドが前提にあるようにしたいと思っているわけです。