純化と矛盾

純化と矛盾

最近、専門店が流行っている。「レモネード専門店」とか、「タピオカ専門店」、「塩ラーメン専門店」など。今は専門店の方がバズリやすいからね。

何かを抽出してピュアにすることを純化と言う。不純物を化学的、物理的に取り外して。いろいろな飲み物がある中から、レモネードに特化するのも純化だね。
音楽も、ノイズを除去する。今は、純化がすすんでいる。

ラベンダーとラベンダーオイルだと、ラベンダーオイルの方がいいにおい。それに、ラベンダー畑に連れて行くより、ラベンダーオイルの方が手軽だよね。それは、純化しているから。純化すると、商売のタネになる。

ボクが生まれて初めてラベンダー畑に行って見たとき、全然、綺麗でなかった。
ラベンダーは背が低いから、立ったまま見ると、土が見える。紫のじゅうたんには見えないの。それに、近づくと、堆肥のような匂いもする。ミツバチが飛んでいてうるさいし、恐い。触れると手がベトベトになる。ラベンダー畑のポストカードにある幻想的イメージは純化されているけど、ホントはそうじゃないんだと知った。

今のインスタも、フィルターがついていて、純化すると、顔には、しみやそばかすがないことになる。自分に自信がないから、自分の中のいいところを純化して、悪いところはマスキングして隠す。すると、自分とは違う、純化した自分を褒めてもらうことになる。

自分を知ってもらいたい、見つめてもらいたい気持ちがあるのに、矛盾が起きる。マスキングされているものも含めて自分なのに。寂しいから認めて欲しくて純化したのに、認められても、どんどん寂しくなる。

今、そういう矛盾に悩んでいるヒトがいっぱいいるよね。純化そのものが誰かのアルゴリズムであるんだけどね。

コンサルタントかなんかが、これからの時代は純化だと言う。「一点、いいところを見せて、バズらせた方がよいのでは?」と。だけど、それでみんなホントにいいの?とボクは思うのですよ。

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