魂の三元説
「魂の三元説」という、プラトンの言葉があります。魂は、頭と胸と肚にあり、頭の中にあるのが理性、胸の中にあるのが意志、肚の中にあるのが欲望だと。
肚に据えかねるとか、胸に手を当てて考えてみるとかいう言葉もあるものね。嫉妬なんて気持ちは、頭では仕方ないと思うけど、肚の中では許せない、胸の中では苦しいって思ったりする。
プラトンは、これを二頭の馬と乗り手に喩えてる。二頭の馬は意志と欲望。意志は自分を高みに近づけようとして、上へ上へ進もうとする。逆に欲望は下に下に進もうとする。そして2頭の馬をコントロールする乗り手が理性だと。
「メタ認知」ってあるね。自分を客観視する力。人には、この力が必要になる。欲望が自分の中にどれだけあって、こうありたいって意志がどれだけあって、それを今、どういうふうにコントロールするかは、自分が客観的じゃなきゃわからない。全部感情に任せてもダメだし、欲望なんかあったら意志を妨げるからと、禁欲主義にして自分は高みに昇れると思っても、人から愛されるとか、人と繋がっていくという、つまり社会の上で人と人が繋がっていくときには、やっぱり、ただただ禁欲的じゃダメなんだよね。結局その辺は塩梅ってことなんだよね。
「魂の三元説」の進化形として、「四元徳」ってのがある。知識が前提となって、理性が成り立つ。意志を働かせるには勇気が必要。欲望には節制が必要。これらを合わせたものが正義。人には、知識、勇気、節制、正義の4つがあると。
勇気は、魂のどこかで、あの人は自分を見てくれてると思う人がいれば湧く。人と人の中の愛、繋がりがあれば勇気が手に入る。勇気がないと、知識と節制があっても正義にはならない。だから、勇気は、あなたはそれでいいんだよって言ってもらうからこそ持てるわけだから、あなたはそのままでいいんだよと言うことが、世の中の悪を駆逐する方法じゃないかって思うんですけど、違いますかね。