性善説

性善説

ボクは、基本的には性善説です。悪いヒトはいない、ヒトは全て善である。
子供の時は天使なのが、大人になると愚かになる。「人間の本性は基本的に善」という考え方だね。

例えば、ヒトがズルいこと、罪を犯してしまった時、なんでそうなっちゃったんだろうという事の方に関心がいく。人間が人間を裁く事に抵抗があるとも言えるんだよね。
自殺や、罪を犯すヒトがいる。自分もちょっと間違えばそうなるかもしれない、ちょっとしたところで踏みとどまっているだけに過ぎない気がする。自分は運がいいだけかもしれないから、ヒトは助け合わなきゃいけないなとも思うしね。
気持ちは分かるというのかな、ヒトの事は言えない、自分もそうなりうると思うことが、どうなんだろう、普通じゃない?

話の通じないヒトと距離をとった方がいいとボクがよく言うのも、性善説に基づいていて、生き物というのは自浄作用を持っていて、ヒトは必ず良い方に変わると思っているから。それにはとても時間がかかるので、そのヒトの事をさんざん言って、結果変わらなければ失望と同時に、愛から憎しみに変わる。そうだとしたら、距離をとって、ほどほどに付き合う方が良いと思うんだよ。

ボクはおせっかいだから、ごちゃごちゃ言って、会わなくなったヒトもいっぱいいるけど、時間が経てば、そのヒトにとってボクと関わっていた時間は無駄じゃない気がする。そのヒトの中に何か残ってると思う。

どっぷりと浸かるプロセスがあって、離れられることがあると思う。ある程度そのヒトとの関係を費やすと、後は自分でやってみますという気になるというのかな。
だから、どんなヒトでもボクは恐れずに近づくし、距離は縮めようと思うね。

だから、過剰である、おせっかいなヒトもいて欲しいなと思うし、そうしたいけどね。どういうわけか、ヒトと常に距離をとっちゃう、距離を取らずにはいられないヒトもいるよね。そういうヒトは、それでもいんじゃない?って思うね。

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