運命
運命論者っているよね、何でも運命を信じているヒト。
運はあると思う。ボクはこの世のすべては運次第で、すごくいい事があっても、悪い事があっても全て運だと思ってる。
運は、神様を信じられるかどうかという事だと思うよ。ほとんどの事はわからないわけでしょ。仕事、就職試験、面接、自分の顔、形、こういうのはすべて運。
25歳までに結婚して、30歳までに子供2人、30歳過ぎには住宅ローン、保険の積立。子どもは有名私立に入れて、老後は……という事を考えてるヒトとは、全く話が合わないね。未来を過去にしちゃって何が楽しいの?って思っちゃう。
ボクは、自分の運命は、コントロールするものじゃないという気がするし、運命に自分の身を任せるというのは大事だと思っている。でも、だからといって何もしないという事でもない。
「差し伸べた手の上にしか葡萄は落ちてこない」という言葉があるけど、自分で手を差し伸べるのは大事。運命は向こうから降ってくるのではなくて、自分の行動の末に巡り合ったもの、それが運命だと思っているんだよ。行動が伴って初めて運命。自分でいろいろ動いてみて、手を差し伸べて、でも葡萄は落ちてこない、それが運命。
絶対に葡萄が落ちてくる所にしか行動しませんというヒトとは、ボクは相容れないと思うな。
「ヒトの行く裏に道あり花の山」という言葉があるけど、みんなが同じように手を差し伸べたら、葡萄が落ちてきますというのは、みんなが行く道。みんなが行っている道の先には、実は案外何も無くて、みんなが行かない道にこそ、花の山があるという言葉が、ボクは好き。
博打で言えば、常に山を張り、表に打たないで裏に打っていたら、それは確率論で言えば当たらないかもしれないね。けれど、自分の人生は一度きりだから、財産を貯めることより、明日どうなるかわからない、全ては偶然の産物である中、何か行動を伴った上で出逢うものを大切にしたい。
それがボクの運命論だね。