遺ったもの
ボクがとんかつ屋をやっていた頃、とんかつを作るおじちゃんが失踪しちゃって、それで、「マメヒコ飯店」というお店に変えたんだけど、その店も立ち退きがあって、今は建物一つ残ってない。
でも、とんかつ屋をやってる中で、映画を作ることになり、その映画を上映するために宇田川町店が出来て、そこからエトワール★ヨシノが誕生した。その宇田川町店が閉店し、コロナがあり・・・それで、今は、お弁当クラブやラジオ、いかひこ塾などをやっている。
最初に何かをやろうとする目的があるけど、その通りにはまずいかないんだね、ボクは。
何かを始めて、次に別の扉があって、たまたま偶然その扉を開ける。それが誰かとの出会いになって、自分がやろうと思っていたこと、あるいはそれに近しいことを、その開いた扉の中で見つけて、これなら今までやりたかったことが出来ると思って、何かをまたやる、という形で今がある。
今あるものは、かつて自分がやったことの遺ったものだし、今やってることは、例え、目標通りに行かなかったとしても、それは次の扉を用意する条件で、何かをやると次の扉があって、その扉を開けると、また上手く行かないということの連続。つまり、今ある現状は、かつて自分が開けた扉の先にあったということ。
常に歩いて、何かを始める。そうすると終わる。終わるとお金ではない何か遺ったものがある。その遺ったもので何か始めて、また遺ったものがあるという感じかな。
だからこそ、切ないことがあるとすればね、一緒に始めようと言ったヒト達は、遺ったものが見えた時にそこに居ない事が多い。でも自分は走るしかない。だって走らなかったら次の扉はないから。
あ、気づいたらやろうとしてきたことができちゃった。という事が次の次の扉として現れて、ほら、出来たよと言うと、2つ前に一緒に扉を開けた人はもういないというね。
こういう時間のタイムラグって、誰にでもあることだろうけど、今日はちょっと喋ってみました。