幸せの定義

奈良の春日大社の宮司さんが書いた「神様のお弁当」という本がある。

人間は、生まれ持って神様にお弁当箱を渡されていて、その中に、健康、お金、名誉の三つがそれぞれの割合で入っている。自分はなんで名誉がないのか、あるいはお金が稼げないのかというと、三つのうちの他のものの割合が多いから。だから感謝して生きましょうねという事なんだけどね。

ボクなりの幸せの定義を考えたんですよ。

例えば、3個のおにぎりがあったら、5人で、均等にならなくても、取り分けて食べる事。これが、一人一個ずつおにぎりが用意されていたら、何も幸せじゃない。一人一つずつスマホ、一人一つずつ部屋が用意されてる事の良さはあるかもしれないけど、ボクの幸せの定義にはならないわけ。
だって、3個のおにぎりを5人で分け合う事は、足りなくても平気なヒトがいるわけでしょ。俺いらないとか、私食べたいとか、そういう事が出来る関係があるという事。

群れである事が幸せでね、それは、一つの物をみんなで食べる、一つのお風呂にみんなで入るとか、シェアする事。それぞれみんな違うから、均等にしなくても問題にならない。甘いのが嫌いな人、しょっぱいのが好きな人がいて、バランスが取れて良いるはずなんだよ。

均等というのは、みんな同じであるべきという考えが前提にあるのだろうけど、それはありえないよね。

今は、みんながそれぞれ違うということの良さが失われている。
みんなと同じであるのが上で、そうじゃないのは下だという価値観が、学校教育や社会で植え付けられている。そうした建前に従わなきゃいけないのはどうなのかな。

一軒家を買うとか、子供がいい学校に入るとかいう目標をクリアできたら、ゲームとしては幸せかもだけど、ボクが思う幸せは、3個のおにぎりがあったら、それを5人で分けられる、そういう関係性がある中で生きているという事。それが幸せなんじゃないかなと思うけど、皆さんはどうでしょう。

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