レッテル貼り

ヒトに何か伝えるときに、単純化して伝える。それが「レッテル貼り」なんだよね。

レッテルを貼らずに、ヒトとコミュニケーション取れるかと言ったら出来ないし、シンプルにすることは必要。

でも、例えば町内会で、いつもゴミ出しが汚いヒトのことを、あのヒトは外国人だから仕方ないというように、全て端折って、なんとなくレッテルを貼っちゃダメでしょ。
そのレッテルの根拠を説明する必要がある。そういう意味で言えば、テレビとか親が言ってたからとか、誰かが言ってたから、と言うことは、とても良くないことだと思うよ。

大企業が自分たちに都合の良い法律を作って、それを遵守出来ないような小さい企業が「ブラックだ」とレッテルを貼られたら、小さい会社はやっていけない。全部大きい会社に流れるという流れを作るには、レッテルを貼ることはとても好都合なんだよ。

例えば、昔ながらの塩と糠だけで乳酸発酵させている漬物屋さん。大きな企業の都合の良いように法律が改正されて、食中毒の危険性を避けるという大義名分で、保存料を添加することが義務化されると、むしろ、ちゃんとしたやり方でやっていた昔ながらの漬物屋さんは、いつの間にか法律違反をしていることになって、「漬物が腐ってる」というレッテルを貼られてしまう。

自分で考えたレッテルならいいけど、根拠もなく誰々が言ったという、誰かが印刷したシールをペタペタと貼るなとボクは思う。それは誰かの都合や悪意をばら撒いていることになるし、その結果、善としていることが駆逐されちゃう。

自分の中に善と悪の基準がなければ話にならない。
自分の言葉で正確に言えるようになってから言うこと。それが知性でしょ。

いろんな事を知ることは、知性をつけることだし、そうなるといろんな事が頭で逡巡する。ちょっと待てよ、というふうにしないと、全部レッテルを貼ることになっちゃう。

あなたは「レッテル貼り」というレッテルを貼られても良いですか?

Archive
カテゴリー