畏敬の念

ボクが畏敬の念を意識するようになったのは、言わずもがな、ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテです。
ゲーテの本の中に、こういう下りが出てきます。

自然は全てのヒトに一生の間必要とする全てを与えました。これを発展させるのが我々の義務です。しかし、ただ一つ誰も持って生まれて来ないものがあります。しかも、それこそ人間があらゆる方面にかけて、人間であるためには最も大切なものなのです。
言ってごらんなさい。
「畏敬です!」と繰り返し言われた。これは全てのヒトに欠けています。多分、あなたご自身にも。

人間は一生分に必要な才能を持って生まれ、その才能を発展させるのはそのヒトの義務だと。ただし、畏敬だけは持って生まれて来ない、と。

「ゲーテとの対話」という本にはね、「あらゆる偉大なものは、我々がそれに気付くやいなや、我々はそれを形成する。」っていう一文がある。
偉大なものに気づくと、人間はその偉大なものに影響を受け、自分というものを形作っていくという意味。

この一文を、あるヒトがをこう解説しています。
形成するというのは英語でbuild。そこからドイツ語のbildenという名詞が作られた。日本語では教養という意味。教養という語源は形成するという言葉。builden(教養)というのは自分自身を常に鍛えて立派なものに作り上げる、日々、切磋琢磨するという意味なんだよね。
これは、ボクの心のよりどころ、礎になっているんだよね。

人間は持って生まれたものを高めるべきだし、そういうものを備えている。だけど、たった一つだけ持ち得てないものは畏敬である。つまり、自分より、はるかに偉大なものを多くのヒトは忘れている。だけど、人間が人間たるためには、この畏敬の念は絶対に必要だと、ゲーテは言ってるわけ。

ゲーテはボクの心の友達でもあるし、自分はそこに至っているんだろうか?と、常にこういうものを読み返して思うのであります。

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