モノが余る時代になると、作るヒトと売るヒトのどっちが偉いのだろう?
紅茶においては、農家は納品業者でしかなくて、売る側のほうが強いわけ。売る側は、農産物として仕入れたものをどういう風にしてブランド化して売っていくかということに長けている。
例えばヨーロッパで可愛い缶に入ってる紅茶とかね。加工品のおいしさが今の時代の主流でしょ?
採れたての瑞々しいトマトは本当に美味しいけど、そのトマトだけ集めてカゴメのケチャップは作れない。それを作るにはある程度のトマトを大量に仕入れて、ノウハウを持って世界中安定したカゴメトマトケチャップの味を追求するということでしょ。
農産物より工業製品の方が安定的だし、常におんなじ味でブレなんかない方がいい。
そういうモノを安定的に口にしていることの方がステータスが高くなっちゃってるよね。
日本茶においてもそうだということを言いたい。
サントリーは、そういう意味ではPRに力を入れている、ものを売ることの難しさ、面白さを考えておられる会社だよね。
昔は、ペットボトルのお茶と言えば、お~いお茶がメインだったよね。伊藤園はサントリーに比べたらCMをうつのが下手。というかサントリーがとびきりすごい。
お~いお茶のCMはネーミングからも農家寄りで、お茶を農産物だとみているよね。
ところがイエモンのCMは何をイメージしてるかと言えば、農家じゃなくて、お茶を集めてきて、モッくん扮するプロのブレンダーが提供している。京都をイメージしているよね。
これは紅茶の売り方に近いよね。農家とは離れていき、下流の意見が強くなる。
我々マメヒコはなるべく上流、農産地に目を向けて、あまり加工せずに出したい。つまり、ルビーのトマトを提供したい。
それを東京の真ん中でやりたいと思ってるけど、その難しさもとても良くわかる。これはね、非常に深いお話だと思うんですけど、いかがでしょう?