社会不適合者として生きる

日本という国は、社会に適合することを非常に是としている珍しい国だなぁと思う。海外と比べても変わった国じゃないかな。

その定義というのは、大多数派が是であるということ。少数派のヒトはこの国では生きにくい、疎外されているし、そういうヒトに対して非常に冷たいと思うね。

今回のコロナでも、大多数ということを理由に正しい、まともだと判断するヒトが非常に多いことがわかるよね。マスクを外しましょうと言っても、外さないのはみんながしているから、大人数であることを肯定するために、もっともらしい理由が付けられちゃうのが日本という国だとボクは思ってるんだよね。

ボクは小さい頃から少数派で、社会不適合者というレッテルを貼られて生きてきた。あなたは社会不適合者ですよと言うヒトはいないけど、態度に出るよね。例えばこのコロナの最中に更に2店舗お店をオープンするヒトなんていないから、ふ~んという冷ややかなリアクションがボクには伝わってくるわけ。

スターバックスの様な大きなチェーン店なんかに比べて、MAMEHICOのような小さなお店はそれだけで社会不適合者なんだよね。少数派であるのが社会不適合者であると感じるこの国のヒト達は、MAMEHICOと付き合うことで色を付けられたくないという気持ちが、言葉の端々に感じるんだよね。

社会不適合者として、会社やどこかでレッテルを貼られているヒト達には、恥じることじゃないし、正々堂々としてればいいんじゃない?と伝えたい。大人数側を適合者としてみなし、少数派を不適合者としてみなすことをやめない限り、世界の平和は訪れない気がボクはします。

そして、それを考えるのは知性ではないかという気がしますがいかがでしょう。

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