デタラメな社会について

男を憎んでるの、蔑んでしまうの、
そういう女の子は、すっごく多いなという印象です。

父親不在社会の結果なんでしょうか。
そもそも父親不在社会なんてあったんでしょうか。

少なくとも、ボクの眼の前で泣いている彼女たちの多くが、
男のヒトとどう接していいかわからない、
深く傷つき、大きなトラウマの中にいて自分に絶望している。

そんな彼女たちも、こと女のヒトには、
嫌われないよう、言葉尻まで気を使って、
いつもキョロキョロ、と緊張している。
これは母親との関係を物語っています。

「男性と友好的に関係を結ぶイメージが付かないの」
「いままでも上手くいった試しがないし、
これからもいく気がしません」

なんとかしたい、こんなんでは前に進めない。
でも男のヒトは怖い。
捕まって覚醒剤でも覚えさせられたらどうしよう。
そういうはなしは、身近にいくらでもある。


そこでボクのところに流れ着いてくる。

お断りしておきますが、
ボクは見かけは男なので女性たちははじめ強く警戒しますが、
ボクの男女脳、どちらもわかる稀有な性質を認めた女性は、
安心できるとわかったら、男性との悩みを、赤裸々に話してくる。

聞けば、父親はずっと仕事で忙しかった。
聞けば、父親は家で存在感なく、母に罵られてばかりいた。
聞けば、父親は劣等感が強く、いつも家族に八つ当たりしてた。
聞けば、父親は行方がわからなくなってしまっている。

泣きながら話す彼女たちの声を聞いているボクは母親です。
でもボクの頭のなかは、父親、男脳として社会について考えている。

いままでの社会は、これまでのように続けていけるのか?
いや、いけないだろう。
集約型の社会を、分散型の社会に作り替えていかなくちゃいけないんだ。
彼女たちに必要なのは、いままでの慣習と違った人間関係の構築だ、
いままでと違った家族のあり方、生き方、死に方を考えること。

ヒトはそれぞれ違う、
だから多様性だなんて言ってるけど、
あんなのは何某かのプロパガンダなんであって、
実際の社会は依然として画一化のままです。
いや、むしろ全体主義的な社会に進んでるんじゃないですか。
従来の社会、いまの社会含めて、
ああすればこうなる、という因果関係ばかりを追求しすぎています。
ボクに言わせれば、カルト信仰に近い世界です。

社会はもっと複雑なもので、そう簡単ではないはずでしょう。
「見えないもののなかに大切なものはあるんだ」
なんていうと、サンテグジュペリ的なものはおとぎ話であって、
実社会では通用しないんだ。
なんて偉そうに言ってきたけど、
それは小手先で解決するものしか取り組まなかったからであって、
いま大きな問題となってるのは根本を見直さないで、
ほったらかしにしてきたものばかりじゃないですか。

泣いてた女の子も、泣き疲れたらケロッとしたもんで、
ただ話を聞いてほしかっただけなんだと思います。
甘いケーキでも食べれば、なにもなかったかのような顔をして、
「色々ありがと、さよなら」と行ってしまう。
さすが女だな、強かだなと、取り残されたボクは思う。

むしろそのあと、相談を受けたボクのほうが、
もんもんとした気持ちになって、
このデタラメな社会をどうしていくべきか、
どうもできない無力な自分に絶望して、
泣きたい気持ちになってしまう。

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